高見山の時代
野球とは関係のない話から切り出すことをお許しいただきたい。
6/19に元関脇高見山大五郎の東関が年寄り定年を迎え、角界から引退した。私は現役時代の高見山が死ぬほど好きで、その土俵を毎日毎日心臓をバクバクさせて見入っていた。きっかけが何だったのかはわからないが、たまたま熱心に中継を見出した1972年7月場所で優勝したことから、寝ても覚めてもという状態になったのだ。
大きな上体の下に実に細くて貧相な下半身がついている。その重たい上体を前傾させて、まるで重連の機関車が通過するように前に出るだけが高見山の相撲だった。少しでもいなされたり、懐に入られたりしたらまずダメ。小兵力士に弱くて、鷲羽山や旭国にはぶん投げられたり転がされたりしていた。ただ、横綱輪島には強かった。ノド輪をかまされると横を向く癖のある輪島ののど元にガシっと太い掌をあてがい、あとはひたすら前に出るだけ。輪島は前ミツを必死に探るうちにずるずると下がって土俵を割ったものだった。
このお相撲さんは、ハワイから連れてこられた。その以前から外国人力士は何人もいたが、長続きはしなかった。荒岩マーチンのように実力のある力士もいたが、結局閉鎖的で上下関係の厳しい相撲界に耐えられず、早々にやめていったのだ。
高見山を連れてきた横綱前田山の高砂は、彼を甘やかすことなく日本人と同じ生活をさせた。一方で高砂部屋の実質的な創業者の四股名「高見山」を与えるなど、常に目をかけていた。引退したばかりの振分(横綱朝潮)や前ノ山、富士桜などの励ましもあり、高見山は多くの日本人力士よりも長く土俵に立った。優勝もし、金星の記録や勝利数の記録も作った。
しかし、その高見山をして大関に昇ることはなかった。その当時は「これが外国人の限界」だと思ったものだ。昭和40~50年代、大相撲は野球に次ぐ人気スポーツだった。毎年春場所には百数十人の新弟子が集まった。数だけでなく、質も高かった。故先代貴乃花は、オリンピックの水泳選手になろうかという人材だった。北の湖は小学生の頃から身体能力の高さで注目されたが、知力の面でも抜群だった。後に関取として名を成すものは、相撲教習所の成績も良かった。要するに、当時の相撲界には上質のアスリートが入ってきていたのだ。
「外国人力士」というビジネスモデル
高見山の拓いた道を後進が続いた。小錦は、その非常識な体のサイズと意外に粘っこい下半身で日本の力士の脅威となった。曙は、「下半身がしっかりした高見山」という感があり、その破壊力で横綱まで登った。しかし、当時は相撲を「“重心の低さ競争”から“格闘技”に変えた」千代の富士がおり、その後継者としての二代目貴乃花がいた。日本人と外国人の拮抗した覇権争いは見ごたえがあった。
相撲界の変質は、その時期(平成初頭)からはじまっていた。「分離独立を許さず」という厳しい掟で結束していた出羽の海部屋が独立を許容するようになったことも契機となり、小さな部屋が乱立するようになった。小さな部屋には小さな谷町=スポンサーがつく。その多くはパチンコ、飲食店主、そしてはやりのベンチャー企業。これまでの相撲部屋の谷町=三井、住友、サントリーなどの大企業は、親方に「相撲界の伝統」を教え、健全な経営者としての品格、モラルを求めてきたが、彼ら新興スポンサーが若い親方に説いたのは「てっとり早い成功」である。「ビジネスモデル」を創案し、そこにもてる経営資源を注入して成功する。自分たちと同じ道を歩むことを求めたのだ。
当時の相撲界のおける「ビジネスモデル」とは、「外国から力士を連れてくる」ということだった。当時すでに相撲協会は外国人力士を「1部屋1人」と規制していた。しかし、おもに旧共産圏から連れてこられる若者は、例えばその国のレスリングのチャンピオンであり、蒙古相撲の名門の子弟であり、一級のアスリートだった。たとえ番付の最下位から相撲を取ったとしても、関取(十両以上、750人中80人以内)になる可能性は高い。関取ができれば部屋は潤うし、弟子は増える(=養育費と言う名の収入が増える)。旭鷲山を端緒とするモンゴルや東欧圏の力士の増加の背景には、こうした動きがあった。モンゴルなどでは有力な若者の周辺にはブローカーの影があり、裏で金が動いているという噂が絶えなかったが、多くのスポンサーはこれを「投資」と心得て資金援助をしたのである。
こうして連れてこられた外国人は、「金の卵」である。逃げられては大変だから、お客様として遇する。「相撲界の慣習を教え込む」どころの騒ぎではない。わがままは聞く、甘やかす。先輩力士たちが付け人のように気を配るのが通例となった。
大相撲、衰退の危機
朝青龍の出現以後、相撲界は大きく変質した。横綱、大関の大部分を外国人力士が占め、日本人優勝力士も栃東以来出ていない。新興部屋では協会から支給される養育費ほしさに、手当たり次第に新弟子をあさるようになった。その一方で、身体能力や知力の高いアスリートは相撲界に魅力を感じず力士を志向しないようになった。日本人力士と外国人力士の格差は広がるばかりである。
乱立する部屋は、若い親方が一人で切り盛りしている。金儲けには熱心でも、力士の行儀作法やモラルを教える意識は希薄である。一門の紐帯は弱まっている。モラルハザードはこうした中で次々と起こっているのだ。
関西で熱狂的な支持を得ている夕方のバラエティ番組「ちちんぷいぷい」は、開始当初、無謀な賭けだと言われていた。当時、15:00から18:00の時間帯は大相撲中継が圧倒的な視聴率を稼いでいたからだ。今は完全な昔話となってしまったが。
相撲界の長期低落傾向は、相撲部屋と言う構成要素が腐敗していくなか、指導者層が何ら有効なビジョンを打ち出せなかったことで進行した。真因は顧客に魅力的な姿を提示することなく、既得権益に胡坐をかき、その体制の安定のみをひたすら求めてきたことにある。大相撲はこのままフェードアウトする可能性さえはらんでいると思う。高見山の東関は、今の外国人隆盛の相撲界を複雑な思いで眺めているのではないか。
NPBはもって他山の石となせ
さて、この相撲界と同じような状況を迎えているのが、台湾のプロ野球である。人気浮揚策として外国人選手を招き、布雷(ブリト)、雷鵬(レイバーン)などの派手な名前を付けて売り出している。外国人選手は活躍しているが、肝腎の台湾人選手はパッとしない。観客動員も落ち込んでいる。なぜなら、機構全体が弛緩し、衰退しているからだ。前年に球団ぐるみでの八百長が発覚した米迪亜球団が追放され、その余波で中信球団も撤退。モラルハザードの深刻化にともなって、入場者数は急落し、王建民など優秀な人材はMLBやNPBに流出した。見せかけの人気取り以外の政策を打たず、個々の球団の足の引っ張り合いにまかせて、台湾球界としてのビジョンを全く打ち出せなかった首脳陣の責任は大きい。WBCでも中国に負けるなど惨敗した。
NPBは、相撲界や台湾野球を対岸の火事と見るべきではない。組織トップが明確なビジョンを打ち出すことなく、小手先の人気取りや姑息な足の引っ張り合いをしている状態は、それほど変わりがない。プロスペクト投手田澤がMLBに流出したのは、衰退の始まりだと見るべきだ。MLBへの選手流出防止策に頭をひねる暇があったら、NPB機構全体の見直しと、明確な将来ビジョンを打ち出すべきだ。
地上波での放送時間の縮小は、日本人がNPBを見はなしつつあることを意味している。北海道や福岡、千葉などフランチャイズでは地道な営業活動が実を結び、強固なファン層が根付いている。しかし、読売や中日など旧弊な「男芸者的」球団経営を行うチームがNPBで大きな発言権を有しているのも事実だ。彼らは、MLBの放送を制限し、人材流出を制度面で規制することでNPBを守ろうとしている。愚策というしかない。
先日の朝日新聞のインタビューで、ジャーナリストの古内義明氏はNPBの将来を明るくするためには、MLBの進出を阻害するのではなく、NPBをMLBに負けない魅力的な組織、イベントにするために、経営を強化することだと説いていた。本社から来たサラリーマン経営者ではなく、スポーツビジネスをしっかり学んだエキスパートによって新しいNPBを創出するべきだと言っていた。まったく同感だ。
大相撲、プロ野球がTVメディアで色あせる中、TV番組は低俗化の一途をたどっている。つまらないパスタイムを救うためにも、NPBの体質改善を求めたい。
■後日談:この九州場所の恐ろしいような不入りを見ても、NPBを巡る不景気な話を聞いても、「お茶の間スポーツ」の大きな曲がり角を感じずにはおられない。