世の中にはびこる“朝日新聞的”なるもの

今朝の朝日新聞「オピニオン」に、倉田真由美のインタビューが掲載されていた。ギャンブル好きで知られる彼女に、相撲界を揺るがす野球賭博問題の意見を求めている。
倉田は、「相撲界と暴力団がつながってるなんて、みんなうすうす感じてたんじゃない」「取材する人々や視聴者は『俺も握ってるんだけど』と思ってるはず」と言った。その意見自体に新鮮味はないが、これを一橋大学出でNHK経営委員の倉田が言ってのけたことに意味はあると思う。
朝日新聞の鈴木繁は「子供たちが毒されると困る」と質問、倉田は「世の中は白と黒だけでできてるんじゃない、ギャンブルのようなグレーゾーンがあることを学ばせ、自分の頭で判断させることが大事」と返す。
すると鈴木繁は、ギャンブラーに対する偏見と女性蔑視を露骨に出して、倉田に「ギャンブル好きの男は好きだろ?」と迫る。倉田はこうした優等生的な善悪判断をする最近の日本こそ怖い、と切り返した。不愉快なインタビューだったと思う。
鈴木繁は「取材を終えて」で、倉田が「過去に600人の女性と付き合った」男と結婚したことをことさらに取り上げ、「恋愛がギャンブルに似ているのではなくて、ギャンブルが恋愛に似ているのだ」というわけのわからない締めくくり方をした。これでわかるのは、京大卒53歳の学芸部記者鈴木繁が、性生活や夫婦生活に満たされぬものを抱いているらしい、ということだ。
鈴木繁、そして朝日新聞は、倉田に「あんたたちマスコミの姿勢こそ、胡散臭くて危険なんだよ」と言われたことに気が付いたのだろうか。常に安全な立場に身を置いて、相手を鋭利な白黒の刃物で断罪することの是非を問うているのだ。
マスコミは特別の権力を持っているが、その行使には本当の意味での倫理観と知恵、勇気が必要だと多くの人が思い始めている。特にマスコミが事業を推進するときには、世論を誘導しやすいために一層のモラルと聡明さが求められる。
今年の高校野球は野球の技術ではなく、過酷な炎暑の中で精神と肉体を正常に保つ能力の争いになった。甲子園の入場者数はウナギ登りだが、昨今の異常気象の中、危険性も高まっている。主催者の朝日新聞が普通の神経を持っているのなら、運営形態を変えるなど抜本的な改革を考えるべき時だと思うが、その兆しはないし、そうした決断力は期待できない。死者がでるなど騒動が起きてはじめて、朝日新聞は動きだすのだろう。その際も責任をとらないための姑息な手段が使われるだろう。犠牲者はほかならぬ選手とファンだ。
朝日新聞に代表されるメジャーなメディアの「自分たちは特別」という視点からの情報発信、世論誘導、利益誘導に、世間は不信感を持ちつつある。当事者はそのことを認識すべき時に来ていると思う。

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テレ朝は相変わらずだったが、オールスターは面白かった|野球報道

1戦目はダルビッシュのホップする怪速球、金泰均のライナーを小笠原が好捕、森野の馬鹿当たり、楽天山崎の狙い澄ましたホームラン、阪神藤川と西武中島の真っ向勝負など。
2戦目は、またもや山崎の一発、青木の2、3盗塁、糸井と青木の本塁突入競争(糸井は刺してほしかった!)、平野の守備、ブラゼルの一発、シコースキーの気合など。
試合の流れのようなものはほとんどないから、局面局面を注目することになる。昔と違ってお客さんが何を求めているかを十分知っている選手が多いので、けっこう面白い対決が見られた。その点、淡々と試合を続けるMLBのオールスターよりも、サービスがいいなと思った。
また、捕手のすぐ後ろから藤川、林昌勇の投球を見ることができたのも良かった。
 
それにしても、テレビ朝日はなぜかくもしつこく、選手や監督に話を聴こうとするのだろう。真横で野球の試合をやっているのに、執拗に話を聴く。それでも足らぬと放送席に選手を上げる。しかも、つまらないことを聴くのだ。オールスターの感想、打者との対戦について、今年の調子。昨日はダルビッシュと前田健太を放送席に上げて、お互いをどう思っているか、試合前に話をしたか、それはどんな話だったのか、取り調べのようだった。口下手の二人が鬱陶しいという感情を押し隠して、もそもそ答えるのを聞いていると、もうええっちゅーのに!と言いたくなった。
地上波ではすっかり端っこに追いやられたために、野球中継は、もっぱらJ-Sportsなどで見ている。島村アナをはじめとするスポーツ専門アナと解説者の取り合わせ。玉石混交ではあるが、概ねシンプルでレベルの高い放送が行われている。これを見慣れている者からしてみれば、キー局アナの中継は薄っぺらで安っぽくて、聞いていられない(何せテレ朝は開幕以来、わずか5本しかプロ野球中継をしていないのだ)。解説者は清原、古田、栗山と良い顔ぶれを揃えてはいるが、所詮、彼らの話をじっくり聞く気はない。
テレ朝の放送で評価できるのは、何の関係も無いタレントを呼んでこなかったこと、そして最後まで放送したことだ。
オールスターはお祭りである。だからいつもよりも御馳走を出そう、と思うのは理解できるが、その御馳走はグランドの中にすでにあるのだ。放送ができることは、その御馳走をシズル感たっぷりに伝えることだけだ。

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桑田真澄に期待する(下)|野球報道

返す刀で、桑田はMLBの現状も批判している。選手たちが拝金主義に陥り、道具を大事にしないこと。配球や戦術が遅れていること。これは、現在のMLBの一面を鋭く突いている。
シーズン半ばで主力選手を惜しげもなく放出するのは、煎じつめれば拝金主義のなせる技だ。点を取るべきところで粗雑なプレーをするのは、基本が忘れられているからだ。個々の選手をじっくり育てるよりはほしい選手を他チームやマイナーから取ってくる方が早い。圧倒的な買い手市場によって、MLBは「育てる」という徳目を失っている。『マネーボール』と言う言葉はいみじくもこうした現状を表している。薬物問題も同根だろう。
私はNPBよりもMLBの方が好きだ。それはあらゆる面でディスクロージャー(情報公開)が進み、部外者、素人であっても選手の分析や比較ができるからだ。また、選手やチームの評価が公正なことや、ファンサービスが素晴らしいことも良いと思っている。しかしながら、それらがマーケティングやゲーム理論に基づいて行われていること、言いかえれば「野球が好き」というより「お金が好き」「勝つのが好き」という動機で組み立てられていることを知るとき、鼻白む思いがする。モラルハザードや不正の温床が生まれることも想像できるのだ。
野茂からはじまり、イチロー、松井、松坂をはじめとする日本選手の多くは、NPBとMLBの野球文化の違いと格闘している。MLBに挑戦する選手たちの多くは、日本野球の教育システムを逸脱した存在だ。彼らにとってMLBへの挑戦は、程度の差こそあれ、日本野球の超克というテーマでもある。
 
桑田真澄は、日本の野球から学んだことに自信と誇りを持っている。その目でMLBを見て、率直に欠点を指摘している。素直さは賢さの最も上質の部分だと思う。
日本の野球は、実戦面で最大瞬間風速的にMLBを凌駕していることは、2度のWBCで証明された。しかし、ビジネス、システムの部分では圧倒的に劣位にある。これは、野球を含む日本の“体育会系”組織、教育の欠陥が根底にある。桑田真澄は、日米のこの問題点を俯瞰的に見る目を持っているということだ。
 
この記事で、桑田真澄は、彼のような小さくて体力のない真面目な選手が、指導者の過酷な指示で無茶な練習をして潰れていったのを何人も見た、と話している。少年野球の指導を見ても、「根性」という野蛮な“宗教”が、日本の国にはまだのさばっている。これが、日本の体育会系のみならず、多くの分野では成長の阻害要因になっているのだ。こうしたことを、説得力ある言葉で指摘できるのは、甲子園5度出場、NPB173勝の桑田真澄ならではだ。
桑田真澄は、野球界の指導者ではなくジャーナリスト的な活動をするのかもしれない。訳知り顔だがあまり記憶に残らない江川卓や、いかにも“体育会系”の大ボスのような張本勲、技術論に終始する掛布雅之とは異質の、社会に影響力のある存在になってほしい。
桑田真澄とその言葉にこれからも注目していきたい。

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応援、観戦スタイルについて、また考える|野球報道

昨日の朝日新聞に「静の観客 生む一体感」という坂井親泰記者のコラムが載った。日本のプロ野球の鳴り物応援を「日本の文化」と認めつつも、一つのプレーに球場全体が集中する一体感、「間」を味わう余裕もあって良いのではないか、という趣旨だった。コラムは「4万人の歓声よりも4万人の沈黙は迫力がある」と締めくくられていた。

私は昨年、「MLBをだらだら愛す」というブログで応援団が支配する日本の球場の応援スタイルを批判して、ほとんど炎上と言って良いほどお叱りを受けた。プロ野球がファン、とりわけ熱心な応援団の人々によって支えられていることを考えれば、私のブログは軽率のそしりをまぬかれないだろう。
実は、今年になって「応援団も悪くないな」と思えるシーンに出会った。
千葉ロッテマリーンズの応援団だ。京セラドームの左翼外野席に陣取った千葉ロッテ応援団は、少数ながらも実に統制のとれた応援をしてアウェーの千葉ロッテを勇気づけていた。その後、千葉マリンスタジアムでも観戦したのだが、応援団は外野席をほぼ埋め尽くして、京セラドームの数倍の声援を送っていた。感動したのは、金泰均の打席のときだった。外野スタンドが一体となって「キムテギュン、キムテギュン」と連呼し、彼の応援歌を歌う。外国人としてアウェーのプレッシャーを感じている金泰均にとって、この応援は心を震わせるような感激を与えたに違いない。ストレートで、純真な「声援の束」が、彼に勇気を与えたと思う。金泰均は、韓国でも大声援を受けていたが、それよりもはるかに洗練されていた。

千葉ロッテだけではなく、パリーグの応援団は外野席に固まっている。内野には原則として応援団はいない。じっくりと試合を見たいというファンは、内野に座ればそれほど邪魔されずに試合に集中できる。遠くから津波のように押し寄せる声援は、試合の効果音として悪くはない。
こうした応援団からは「球場に来たら応援するのが当り前だろうが!」という傲慢さは感じられない。洗練されている、と思う。 
ただ、勝負に集中する醍醐味というのもある。大相撲の本場所を観戦した人にはおわかりいただけると思うが、千秋楽の優勝決定の大勝負の緊張感は独特だ。力士の仕切りのたびに、満員の観客席が息を殺して押し黙る。仕切り直しになると観客も「はあー」と緊張を解くような声が洩れる。緊張と緩和の繰り返しで盛り上がっていくのだ。ひとたび力士が立ち上がると声援は最高潮となり、勝負が決まると建物の底が抜けたような「音」がする。数千、数万という人々が一つの「モノ、コト」に集中するエネルギーはすさまじい。そのエネルギーに身を浸し、一体となる充実感は他では得られない。
 
選手が「一度くらいは鳴り物のないグランドでプレーをしたい」というのは、ある意味恩知らずな発言だ。しかし、多くの選手はMLBの試合を見て、そんな感想を漏らしている。
年に数試合くらいは、そういう機会があっても良いと思っている。

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張本勲に守備で「喝!」と言われたくない!|野球報道

「サンデーモーニング」は、見るとはなしに見る番組の代表だ。この番組の名物と言えば大沢啓二と張本勲がスポーツニュースを見ながら飛ばす「喝!」「あっぱれ!」だろう。特に張本は野球のプレーには手厳しいのだが、彼の現役時代を知る世代としては、この人の守備に対する「喝!」「には複雑な思いを抱かざるを得ない。
幼時に負った右手の火傷によって張本は左利きになった。打撃の方はそれで開眼したと言って良いのだが、守備はそれはそれはお粗末なものだった。
1975年にパリーグが導入した指名打者制度の恩恵を最も受けるのは日本ハムの張本だと言われたが、翌年に巨人に移籍した。(この年、日生球場や大阪球場で「張本!もう巨人行くのん決めたんか!」というヤジが飛んでいた)
当時、野球中継と言えば巨人戦しかなかったから、張本の“ものすごい”守備は、全国ネットで知られることになった。3塁にランナーがいるときはショートがぐっと後ろに下がって張本の守備範囲をカバーする。でも、張本が左飛をとってしまえば万事休す。3塁走者は悠々と帰ってくる。レフト線に安打が飛んだときは、取り乱したような足取りであたふたと球を追いかけ、掴むと近くの野手にトスをするだけ。打撃では移籍1年目に谷沢健一とデッドヒートを演じたが、守備面では目をつぶらざるを得なかった。
大沢啓二は張本よりプロ入りは3年早い。兄の大沢清(中日-東急-大洋-広島、のち国学院大学教授)は強肩強打で知られた野手だったが、弟も鉄砲肩でならした。張本と同じ左翼を守って、アシストをいくつも記録している。また、守備のフォーメーションをNPBではじめて確立させた指揮官としても知られる。
その大沢が守備に言及することはほとんどなく、張本が外野はおろか内野守備まで滔々と批評を展開する。ま、テレビ画面の中のお話と言えばそれまでだが、恐らく全国に「お前が守備のことを言うな!」と突っ込んでいる中年がいることだろう。日曜朝の小さなストレスではある。

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野球番組の女性MC、何とかしてほしい|野球報道

この春の野球中継、野球ニュースを見ていて、女性のMCが増えたな、と思った。NHKから民放、そしてCSまで。
中には、すさまじく野球に通じた女性レポーターもいる。J-SPORTSだったと思うが、「元スカウトか何かか」と思うような気合の入ったベンチレポートをしていた。
しかし、大部分の女性MCは、解説者の横で花のように笑っているというタイプだ。解説者と局アナの間に入るパターンも多い。この配置は、武骨な男性ばかりの放送に花を添え、柔らかい雰囲気にするとともに、あまり野球を知らない初心者も相手にしようという作り手側の思惑からだと思う。
「あまり詳しくない人に、わかるように説明する」これ、実は難しいことだ。もちろん、女性MCが説明するわけではないが、質問するにしても、ポイントをしっかり突かないと、訳が分からなくなる。
男女問わず、賢いMCは、事前に十分下調べをする。その上で「わからなかったこと」を自分の言葉で明確に質問する。そうすると解説者も(レベルにもよるが)しっかり答えることができる。
今、出ている女性MCの多くは、そうではない。事前に情報を仕入れていないから、頭からしっぽまでわからないことだらけ。そのくせ「わかったふり」をしてうなずく。でも、彼女が理解していないことは、見ている側には伝わってしまう。どんどんわからないことが増えていって、番組についていけなくなっているのだが、それをごまかそうとする。で、解説が佳境に入った時に、次元の低い質問をするのだ。たとえば、機動力野球の話をしているときに、「バントって2ストライクからはできないんですよね」みたいな。話のレベルは一気に下がる。へたくそな解説者がパートナーだった時などは目も当てられない。彼のレベルも一気に下がるのだ。見る側の多くは、この試合、このプレーの何が良かったのか、どこがすごかったのかを聞きたいと思っている。そこに思い切り水を差してくれるのだ。
賢いMCは、たとえ初心者的な質問をしてもそうはならない。見落としがちな基本的なことを気づかせてくれたり、新鮮な視点を与えてくれたりする。
女性MCは、とにかく「番組に出たい」一心で出ているのだと思う。そして、局側は「野球のことなんか詳しくなくてもいいから、とにかく明るく」的なことを行っていると思う。たとえば、誰か特定の選手が好きだとか、特定チームに詳しいだとか、そういうとっかかりでもあれば、まだ盛り上がりようもあるが、それもなければ、から騒ぎのしようもない。
人は、好きでもない、よく知らないことでも盛り上がれるほど、不正直ではない。シーズンが深まれば、そういうMCのお姉さんたちは浮かない顔になってくると思う。何とかしてほしいなあ。

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相変わらず能天気なスポーツ新聞虎報道|野球報道

先週の日曜日、ラーメン屋でスポーツ新聞を広げたら、思わずふきだしそうになった。
 【12/13 デイリースポーツ】
阪神が前カブス傘下3Aアイオワのケイシー・フォッサム投手(31)の獲得を目指し、最終交渉に入っていることが13日までに明らかになった。フォッサムはメジャー通算40勝53敗、防御率5・45の実績を誇る左腕。
 40勝53敗防御率5.45を誇るなって!負け越してるし、通用してないじゃないか。昭和40年代じゃあるまいし。サンスポも同様である。
 【12/15サンケイスポーツ】
ポスト・ウィリアムスだけじゃない。先発、リリーフ、どちらもOK!! メジャー通算237試合登板、うち120試合に先発した実績を誇る左腕・フォッサム
 フォッサムの実績の何を誇っているんでしょうか。MLBでそこそこやった、というのが、そんなに誇らしいことなのだろうか?
フォッサムだけではなく、マートン、メッセンジャーも同様だ。
 【12/8サンケイスポーツ】
阪神優勝や!米の二塁打王マートンを電撃獲得
これはデマである。どこをどう調べても、マートンが二塁打王だったことはない。
 【12/11夕刊フジ】
「松井斬り」メッセンジャー阪神入り 城島からも強い推薦
松井秀喜はメッセンジャーと9月19日に対戦して、7回に3球三振にとられている。そのときの捕手は確かに城島だったが、たった1回の三振を鬼の首でも取ったように書きたてている。
相変わらず、スポーツ新聞(夕刊紙も含む)ってやつは…と苦笑する。
阪神は、トーマス・オマリー駐米スカウト(48)を解雇したばかりだ。昨年のメンチや一昨年のフォードなど使えない外国人を紹介し続けたからだ。
メンチなどはマートンよりもはるかに大物だったが、それでも通用しなかった。その失敗に懲りて阪神は、外国人獲得の戦略を練り直している最中なのだ。まだ球団側も半信半疑で契約をしているはずだ。
MLBでレギュラークラスの実績を上げても、NPBでは通用するかどうか分からない。これが常識になっているのに、中途半端なMLBでの実績を「誇る」新聞報道。多くのファンはあきれているのではないか。
もっとも、こんな記事もある。
【ニッカンスポーツ12/8】
阪神が補強を失敗する理由
 阪神の補強動向がこのオフも紙面をにぎわせている。最近は特に外国人打者が失敗続きで、球団の危機感は相当なものだ。先日はオマリー駐米スカウトの解雇が明るみに出た。優良な助っ人を獲得するために、暗中模索している。しかし、いかにうまくスカウトするか、という面だけにとらわれていては、事態の改善には結びつかないと思う。阪神に来る外国人はほとんどがメジャーを経験している。落ち目であっても、能力的に全くダメというわけではない。
 ユニホームを着てから、いかに練習させるか、ということも大事な要素ではないだろうか。(中略)2年前のフォードは体調不良を理由に練習を休むことがあった。今年のメンチもバットを振りこんでいるシーンは見られなかった。日米を問わず、練習せずに能力を発揮できる世界はない。残留が決まっているブラゼルもハングリー精神を失えば、今年のような活躍は見られないだろう。特別扱いしない厳しい姿勢が必要だ。契約書にサインさせるまでが補強ではないと思う。
(田口真一郎)
 
こういう冷静な記事は扱いが小さい。
日本のNPBファン、阪神ファンも相当に目が肥えてきている。もっと冷静で辛口の報道も受け止めるはずだ。相変わらずの球団の提灯記事オンパレードでは、ラーメン屋でならともかく、金を払ってまで読む気がしないと思うのだが。
 
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高見山=東関引退で思ったこと|NPB

高見山の時代

 

野球とは関係のない話から切り出すことをお許しいただきたい。

6/19に元関脇高見山大五郎の東関が年寄り定年を迎え、角界から引退した。私は現役時代の高見山が死ぬほど好きで、その土俵を毎日毎日心臓をバクバクさせて見入っていた。きっかけが何だったのかはわからないが、たまたま熱心に中継を見出した1972年7月場所で優勝したことから、寝ても覚めてもという状態になったのだ。

大きな上体の下に実に細くて貧相な下半身がついている。その重たい上体を前傾させて、まるで重連の機関車が通過するように前に出るだけが高見山の相撲だった。少しでもいなされたり、懐に入られたりしたらまずダメ。小兵力士に弱くて、鷲羽山や旭国にはぶん投げられたり転がされたりしていた。ただ、横綱輪島には強かった。ノド輪をかまされると横を向く癖のある輪島ののど元にガシっと太い掌をあてがい、あとはひたすら前に出るだけ。輪島は前ミツを必死に探るうちにずるずると下がって土俵を割ったものだった。

このお相撲さんは、ハワイから連れてこられた。その以前から外国人力士は何人もいたが、長続きはしなかった。荒岩マーチンのように実力のある力士もいたが、結局閉鎖的で上下関係の厳しい相撲界に耐えられず、早々にやめていったのだ。

高見山を連れてきた横綱前田山の高砂は、彼を甘やかすことなく日本人と同じ生活をさせた。一方で高砂部屋の実質的な創業者の四股名「高見山」を与えるなど、常に目をかけていた。引退したばかりの振分(横綱朝潮)や前ノ山、富士桜などの励ましもあり、高見山は多くの日本人力士よりも長く土俵に立った。優勝もし、金星の記録や勝利数の記録も作った。

しかし、その高見山をして大関に昇ることはなかった。その当時は「これが外国人の限界」だと思ったものだ。昭和40~50年代、大相撲は野球に次ぐ人気スポーツだった。毎年春場所には百数十人の新弟子が集まった。数だけでなく、質も高かった。故先代貴乃花は、オリンピックの水泳選手になろうかという人材だった。北の湖は小学生の頃から身体能力の高さで注目されたが、知力の面でも抜群だった。後に関取として名を成すものは、相撲教習所の成績も良かった。要するに、当時の相撲界には上質のアスリートが入ってきていたのだ。

 

「外国人力士」というビジネスモデル

 

高見山の拓いた道を後進が続いた。小錦は、その非常識な体のサイズと意外に粘っこい下半身で日本の力士の脅威となった。曙は、「下半身がしっかりした高見山」という感があり、その破壊力で横綱まで登った。しかし、当時は相撲を「“重心の低さ競争”から“格闘技”に変えた」千代の富士がおり、その後継者としての二代目貴乃花がいた。日本人と外国人の拮抗した覇権争いは見ごたえがあった。

相撲界の変質は、その時期(平成初頭)からはじまっていた。「分離独立を許さず」という厳しい掟で結束していた出羽の海部屋が独立を許容するようになったことも契機となり、小さな部屋が乱立するようになった。小さな部屋には小さな谷町=スポンサーがつく。その多くはパチンコ、飲食店主、そしてはやりのベンチャー企業。これまでの相撲部屋の谷町=三井、住友、サントリーなどの大企業は、親方に「相撲界の伝統」を教え、健全な経営者としての品格、モラルを求めてきたが、彼ら新興スポンサーが若い親方に説いたのは「てっとり早い成功」である。「ビジネスモデル」を創案し、そこにもてる経営資源を注入して成功する。自分たちと同じ道を歩むことを求めたのだ。

当時の相撲界のおける「ビジネスモデル」とは、「外国から力士を連れてくる」ということだった。当時すでに相撲協会は外国人力士を「1部屋1人」と規制していた。しかし、おもに旧共産圏から連れてこられる若者は、例えばその国のレスリングのチャンピオンであり、蒙古相撲の名門の子弟であり、一級のアスリートだった。たとえ番付の最下位から相撲を取ったとしても、関取(十両以上、750人中80人以内)になる可能性は高い。関取ができれば部屋は潤うし、弟子は増える(=養育費と言う名の収入が増える)。旭鷲山を端緒とするモンゴルや東欧圏の力士の増加の背景には、こうした動きがあった。モンゴルなどでは有力な若者の周辺にはブローカーの影があり、裏で金が動いているという噂が絶えなかったが、多くのスポンサーはこれを「投資」と心得て資金援助をしたのである。

こうして連れてこられた外国人は、「金の卵」である。逃げられては大変だから、お客様として遇する。「相撲界の慣習を教え込む」どころの騒ぎではない。わがままは聞く、甘やかす。先輩力士たちが付け人のように気を配るのが通例となった。

 

大相撲、衰退の危機

 

朝青龍の出現以後、相撲界は大きく変質した。横綱、大関の大部分を外国人力士が占め、日本人優勝力士も栃東以来出ていない。新興部屋では協会から支給される養育費ほしさに、手当たり次第に新弟子をあさるようになった。その一方で、身体能力や知力の高いアスリートは相撲界に魅力を感じず力士を志向しないようになった。日本人力士と外国人力士の格差は広がるばかりである。

乱立する部屋は、若い親方が一人で切り盛りしている。金儲けには熱心でも、力士の行儀作法やモラルを教える意識は希薄である。一門の紐帯は弱まっている。モラルハザードはこうした中で次々と起こっているのだ。

関西で熱狂的な支持を得ている夕方のバラエティ番組「ちちんぷいぷい」は、開始当初、無謀な賭けだと言われていた。当時、15:00から18:00の時間帯は大相撲中継が圧倒的な視聴率を稼いでいたからだ。今は完全な昔話となってしまったが。

相撲界の長期低落傾向は、相撲部屋と言う構成要素が腐敗していくなか、指導者層が何ら有効なビジョンを打ち出せなかったことで進行した。真因は顧客に魅力的な姿を提示することなく、既得権益に胡坐をかき、その体制の安定のみをひたすら求めてきたことにある。大相撲はこのままフェードアウトする可能性さえはらんでいると思う。高見山の東関は、今の外国人隆盛の相撲界を複雑な思いで眺めているのではないか。

 

NPBはもって他山の石となせ

 

さて、この相撲界と同じような状況を迎えているのが、台湾のプロ野球である。人気浮揚策として外国人選手を招き、布雷(ブリト)、雷鵬(レイバーン)などの派手な名前を付けて売り出している。外国人選手は活躍しているが、肝腎の台湾人選手はパッとしない。観客動員も落ち込んでいる。なぜなら、機構全体が弛緩し、衰退しているからだ。前年に球団ぐるみでの八百長が発覚した米迪亜球団が追放され、その余波で中信球団も撤退。モラルハザードの深刻化にともなって、入場者数は急落し、王建民など優秀な人材はMLBやNPBに流出した。見せかけの人気取り以外の政策を打たず、個々の球団の足の引っ張り合いにまかせて、台湾球界としてのビジョンを全く打ち出せなかった首脳陣の責任は大きい。WBCでも中国に負けるなど惨敗した。

 

NPBは、相撲界や台湾野球を対岸の火事と見るべきではない。組織トップが明確なビジョンを打ち出すことなく、小手先の人気取りや姑息な足の引っ張り合いをしている状態は、それほど変わりがない。プロスペクト投手田澤がMLBに流出したのは、衰退の始まりだと見るべきだ。MLBへの選手流出防止策に頭をひねる暇があったら、NPB機構全体の見直しと、明確な将来ビジョンを打ち出すべきだ。

地上波での放送時間の縮小は、日本人がNPBを見はなしつつあることを意味している。北海道や福岡、千葉などフランチャイズでは地道な営業活動が実を結び、強固なファン層が根付いている。しかし、読売や中日など旧弊な「男芸者的」球団経営を行うチームがNPBで大きな発言権を有しているのも事実だ。彼らは、MLBの放送を制限し、人材流出を制度面で規制することでNPBを守ろうとしている。愚策というしかない。

先日の朝日新聞のインタビューで、ジャーナリストの古内義明氏はNPBの将来を明るくするためには、MLBの進出を阻害するのではなく、NPBをMLBに負けない魅力的な組織、イベントにするために、経営を強化することだと説いていた。本社から来たサラリーマン経営者ではなく、スポーツビジネスをしっかり学んだエキスパートによって新しいNPBを創出するべきだと言っていた。まったく同感だ。

大相撲、プロ野球がTVメディアで色あせる中、TV番組は低俗化の一途をたどっている。つまらないパスタイムを救うためにも、NPBの体質改善を求めたい。

■後日談:この九州場所の恐ろしいような不入りを見ても、NPBを巡る不景気な話を聞いても、「お茶の間スポーツ」の大きな曲がり角を感じずにはおられない。

スポ―ツ紙に未来はあるのか?|野球報道

【2009年5月14日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

ずいぶん昔のことだが、酒場でスポーツ新聞の記者に「掛布雅之の魅力とは何か?」と問いかけたことがある。記者氏はしばらく腕を組んだ挙句「わからん、考えたこともない」と言った。

彼は自分の会社にいるよりもはるかに多くの時間を甲子園や他のスタジアムで過ごしていて、掛布はじめ阪神の選手がどんな車に乗っているかとか、誰と誰が仲がいいとか、どんな女性と付き合っているか、などの身辺の情報は、ひょっとすると自分の家族以上によく知っていた。選手のプレーもいちばん良い場所から毎日眺めていたはずだが、その眼は、選手のプレーそのものではなく、別のところに向いていたのだ。

 

今のスポーツ誌も、似たような記者によって書かれているような気がする。今日のスポーツ新聞各社のトップの見出し

 ・スポーツニッポン(東京)「ただいま5連勝 マー君ってすごい!」

・デイリースポーツ「球児悲劇」

・スポーツ報知「草彅29日いいとも」(巨人は敗戦)

・中日スポーツ「克服しろ、浅尾」

・東京中日スポーツ「井端負傷退場!」

 各紙ともに総合スポーツ紙と名乗ってはいるが、どこかのチームの応援団の会報誌のようである。こんな見出しを365日考える方も大変だが、読む方だって大抵のことではない。新聞の中身もこの調子だ。勝てば有頂天になり、負ければ消沈するか、無理に良い所を見つけ針小棒大に取り上げる。「大本営発表」みたいな見出しもしばしばだ。さらに国語教育に挑戦しているのか、と言いたくなるようなダジャレや造語を連発する。素朴な疑問なのだが、そういう記事って読むほうも、書いてるほうも飽きないのだろうか。

要するに勝った日は「勝った勝った」と書き、負けた日は「負けた負けた」と書くだけで、スポーツ紙をどんなに読んでも、試合の微妙なニュアンスや流れは見えてこないのだ。勝敗や選手の成績は、STATSを見ればわかる。そのことについてわんわん書いてくれなくてもいい。それよりも数字では知ることのできないプレーの様子や、その背景、そしてその選手の能力や資質などを伝えてほしい。監督の戦略や思惑、両チームのタイムリーな戦力的な背景なども教えてほしい。そう思うのだ。

「ナンバー」という雑誌が創刊され、今も多くの読者に読まれているのは、スポーツ紙では知ることのできないいろいろな情報を知りたいと願う読者がいるからだと思う。

スポーツ紙の部数は、おそらく伸び悩んでいることだろう。情報メディアの多様化によって、試合の勝敗はリアルタイムで分かる。STATSだってネットですぐに入手できる。CS、BSで試合の放送も見ることができる。翌朝のスポーツ紙のやけくそみたいな元気な見出しは、かなり色あせていると思う。

もちろん、そんなスポーツ紙のカラーが好きな読者もたくさんいるだろうが、スポーツ紙の存在意義は以前よりはかなり薄れているのではないかと思う。紙面制作のために毎日費やされる莫大なエネルギーを、ほんの少し違う方向にむける時が来ていないだろうか。

ちなみに、私にとって掛布雅之とは「胸のすくような守備をする三塁手」だった。ゴロをグラブに収めるや、三塁側に1、2歩ぐっと体を預けて、その反動で矢のような球を一塁に送る。その送球はマウンドを通過したあたりでぐっと浮き上がっているように見えた。どこまでも伸びていきそうな、その直線を一塁手のミットが突如断ち切る。なんとも爽快な見ものだった。私にとって、掛布はそんな「守備の人」だったのだ。

■後日談:大それた話だが、このブログで野球ジャーナリズムに一石を投じたいと思っている。

岡島今季初勝利?|MLB 野球報道

【2009年4月26日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

日本の多くのマスコミが報じたところによれば、BOSの岡島は今季初勝利を挙げたそうである。

NYY戦、7回2死2、3塁でマウンドに上がり、1安打1敬遠四球で1失点、逆転を許したが、裏に味方が再度逆転して、白星が転がり込んできただけである。

野球のレギュレーションはまだ完全とはいえない。この白星など、その典型だろうが、これを正確に伝えることなく「初勝利!」と空しい花火を上げる日本のマスコミは、何を考えているのだろうか?MLBファンにぬか喜びをさせて何になるのだろうか?

さすがにスポーツ新聞などは詳報を伝えているが、PCやモバイル系の短信は、極端に言えば誤報に近い。野球を知らないデスクが見出しをつけているなら、勉強していただきたいし、意図的にそんな情報を伝えているのなら、ジャーナリズムの名前を返上していただきたい。

岡島は、今、自分の不調について真剣に悩んでいるはずだ。

大昔の「大本営発表」みたいなことをするマスコミは、自殺行為をしている。

■後日談:信じがたいことだが、民放には野球が嫌いなアナウンサーがいるようだ。