ジーターの引き際を考える|2009ベテランの勤務評定-16

NYYの主要な殿堂入り打者とデレク・ジーターのライフタイムSTATSを並べてみた。なお、かつての大打者のOPS、RC、RC27は盗塁死、犠打等の不明な数字を加算していない暫定的な数字だ。

 

ジーターは、これまでの大打者とは異質の存在であることが分かる。大艦巨砲主義的な昔の打者とは異なり、ジーターはアベレージヒッターであり、チームプレイに徹する打者だ。また、SSとして守備でも観客を魅了している。
ジーターは野球が複雑になった時代のスターなのだ。本塁打を打つ打者だけが評価されるのではなく、出塁率やOPS(出塁率+長打率)、RC(特点を生み出す力)など、チームの勝利に貢献するポイントでも評価される時代の打者なのだ。
2009年、ジーターはすべてのMLB打者の中で最も多くゴロを打った打者である。昔なら、それは単なるエピソードだが、今ではセイバーメトリクス的に最も価値のある打者ということになる。選手も変化したが、野球を見る目も変化しているのだ。

ジーターは、NYYでキャリアを終えるのではないかと思う。それもバーニー・ウィリアムスのように、出場機会を求めてあがくようなこともなく、あっさりと身を引きそうな気がする。そうだとすれば、偉大な打者でも晩年は多くのチームを渡り歩くことが多い昨今では珍しい。その点は、偉大な先人たちと同じ美学を有しているのではないか。
(ルースはBOS、NYYをへて最後はBSNでキャリアを終えているのでこの中には入らない)

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※Ken様のご指摘で、NYY殿堂入りの打者のSTATS再計算しました。打席(PA)の集計部分に誤りがありました。そのためにOBPが間違っていました。ジーター以外の各選手のOPSを修正しています。ご迷惑をおかけいたしました。

 

イヴァン・ロドリゲスに刻まれるもの|2009ベテランたちの勤務評定-15

イヴァン・ロドリゲスは2009年オフ早々に、WASと2年契約を結んだ。契約満了時には40歳になる。案外若かったんだ、という気さえする。

イヴァン・ロドリゲスは16歳でプエルトリコから1988年ドラフト外でTEXに入団。同期にはティノ・マルティネス、ロビン・ベンチュラなど懐かしい名前が並ぶ。イヴァンは翌翌年にはMLBに上がり、そのままレギュラーに定着するのだ。若いころは強肩だがパスボールも多かった。また、打撃成績も平凡だった。しかし、打撃成績の向上とともに、盗塁阻止率は向上し、PBは減っていく。1990年代半ばにはリーグを代表する捕手になっていた。座ったまま顔を向けることなく1塁に矢のような牽制球をなげていたのを鮮明に記憶している。99年にはアリーグのMVPに輝く。2001年にアレックス・ロドリゲスがTEXに加入。イヴァンと区別するためにA-RODと呼ばれるようになる。また、2001年以降は2塁をうかがうイチローと好勝負を展開した。175センチと小柄だが、威圧感があった。
FLA、DETを経て、2008年からのイヴァンはジャーニーマンになった。すでに殿堂入り確実と言われるキャリアを持ちながら、なおも現役にこだわっている。2009年のWBCでは、弛緩した印象のあったプエルトリコチームにあって、一人気を吐いている感があった。その時点で、まだ移籍先が決っていなかったことも影響していただろう。
イヴァン・ロドリゲスの素晴らしさを示すSTATSは、枚挙にいとまがないが、一つ上げるなら、マイナー、メジャー通算での出場2622試合の内、実に2528試合でマスクをかぶっているという事実だ。強打の捕手は他のポジションに転向することが多いが、彼はあくまで捕手に徹したのだ。
1991年6月、19歳のイヴァン・ロドリゲスは、44歳のノーラン・ライアンとバッテリーを組んだ。メジャー最年長の投手と最年少の捕手の組み合わせは話題を呼んだ。2010年春、38歳のイヴァン・ロドリゲスはマイナーを飛び越してMLBデビューをすると噂される22歳のスティーブン・ストラスバーグとバッテリーを組むはずである。将来彼は、1947年生まれのライアンと、88年つまり彼がプロ入りした年に生まれたストラスバーグという、時代を代表する大投手の球を受けた唯一の捕手としても記憶されるのではないだろうか。

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ボビー・アブレイユの濃さ| 2009ベテランの勤務評定‐15

RC(Run Create)というセイバー・メトリクスは、計算式は大変複雑だが、一言でいえば、安打、長打、四死球、盗塁、犠打、犠飛などあらゆる手段を用いて、得点を生み出すためにどれだけ貢献したかを示す、積み上げ型の数値だ。RCが1シーズンで100を超えれば、一流の打者だということができる。
現役打者で、シーズンRC100以上を最も長く続けていた打者は、13年連続のアレックス・ロドリゲスだった。しかし、昨年その記録が途絶え(これを見ても、昨年のA-RODの成績が芳しくなかったことが分かる)、1998年から12年連続でRC100を続けているボビー・アブレイユが最長となった(イチロー、プホルスは9年連続を進行中)。
アブレイユは、働いているのである。
 
STATSを見ていると、アブレイユはまるでRCを稼ぐために野球をしているようにも見える。本塁打を打ち、二塁打や安打も量産し、四球も選びまくる。さらには、あの体型で盗塁もするのである。常に動いているという印象がある。
2009年は第一号の本塁打が出たのが5月26日。安打は出ていたが迫力不足と言う感じだったが、終わってみれば100打点を超えてRCも100を超えた。中身の濃い野球を続けているのだ。
NYYでの年俸1600万ドルはLAAに移籍して500万ドルまで下がったが、2年1900万ドル+2012年オプションと言う結果を勝ち取った。一度落ち目になった選手が、年俸をアップするのは至難の業だ。それを易々とやってのけたアブレイユの能力の高さ、クレバーさは素晴らしいの一言だ。再びチームメイトとなった松井のお手本と言えるだろう。

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ウェークフィールドの賞味期限|2009ベテランの勤務評定‐14

たまたま15年前の週刊ベースボール増刊号「MajorLeagueReview’95」を見ていたら、ウェークフィールドの記事が載っていた。95年にPITからBOSに移籍したウェークフィールドは8月13日までに14勝1敗ERA1.65 という活躍を見せた。その後は打ちこまれたがサイヤング賞の候補になった。前年1試合もMLBで投げなかった投手がサイヤング賞を受賞すれば史上空前のことだったが、ランディ・ジョンソンに奪われた。これがウェークフィールドの実質的なデビューだった。この年は野茂英雄のデビュー年だが、ウェークフィールドがブレークした年としても記憶されているのだ。

ウェークフィールドは88年に8順目でPITに入団している。同期には隻腕の名投手ジム・アボットやロビン・ベンチュラ、ティノ・マルチネスらがいる。この顔触れ、ふた昔も前の選手たちだ。ウェークフィールドがいかに古いかと言うことだ。驚くべきことに、ウェークフィールドは内野手としてプロ入りしている。しかし88、89年合計で256打数51安打4本塁打28打点という成績を残して投手に転向する。もともと大学時代は投手と野手を兼任していたが、プロ入り後は野手に専念、それが通用しないとわかり投手に転向。スプリングキャンプで子供のころに投げていたナックルボールを投げるようになり、次第に多投するようになった。しかし、MLBのレベルではSTATSは安定せず、94年はついにマイナー暮らしに終わる。そしてオフに投手の数がそろわなかったBOSにトレードされた。このBOSのスプリングキャンプで、ナックルボーラーの神様ともいえるフィル・ニークロ、ジョー・ニークロの兄弟から指導を受けて、突如開眼したのだ。
以後、15年の長きにわたって、ウェークフィールドはBOSの一員として先発のマウンドを守ってきた。この間に球種は増えていない。90%が100km/h前後のナックルボール。後は申し訳程度の速球とスライダー、これで15年間やってきているのだ。ERAは通算4.33と良くない。WHIP1.35も合格点とは言い難い。しかし、それでも勝星を上げてきた。肝心のところでナックルボールがうまく機能するのだ。これはスポーツと言うより「芸」の世界に近い。バリテックがナックルの捕球が苦手だったために、ミラベリなどウェークフィールド専用の捕手も用意された。ウェークフィールドは常に4、5番目の先発投手だったが、確実にその程度の数字はあがるので、チームとしても重宝したのだ。
ウェークフィールドはジーター(103打数31安打.301)やオルドニェス(41打数16安打.390)などバットコントロールの良い打者には打たれたが、ジアンビ(92打数15安打.163)やオーブリー・ハフ(55打数9安打.193)など左の強打者に強かった。イチロー(29打数7安打.241)や松井秀喜(49打数10安打.204)も苦手にしていたが、岩村明憲は彼を得意にしていた(27打数11安打.407)。
2009年は夏前にローテーションを外れ、8月に復帰後も成績はぱっとしなかったが、BOSは2009年11月9日に早々と2年契約を結んだ。よほどこの投手の使い勝手の良さが気に入っているのだろう。ビクター・マルチネスがウェークフィールドの球を受けることを苦にしないのも好材料だ。(ちなみにビクター・マルチネスはウェークフィールドを15打数6安打.400と得意にしていた。苦手が1人減ったことも好材料だ)
15年前のその記事の最後は「ナックルの行方は風にしかわからないように、ウェークフィールド自身の今後も誰にもわからない」と締めくくられていた。まさか、この投手が40歳をとうに過ぎて、MLBのマウンドに立っているとはだれも思わなかったのだ。

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A-RODは坂を登りきったか?|2009ベテランの勤務評定‐13

ステロイド事件の発覚、臀部の故障で2009年シーズンはじめの28試合を欠場したA-ROD。MLB初出場は5月8日だった。その試合で1号を放ったのはさすがだった。また、それまで不振だったタシェアラが、A-RODが4番に座ったとたん調子を取り戻した(4月AVG.200、5月.330)のは、千両役者面目躍如だが、本人のSTATSは不満足なまま終わった。
 
本塁打30本はAL13位タイ、打点100は12位タイ、打率.286は34位。ただOPS.933は6位だった。結局、毎年どこかで見せる驚異的なストリームがなかったのだ。
プライベートでも離婚と、マドンナとのスキャンダル、そしてステロイドの暴露本。それでも、身辺がそれほど騒がしくないのは、タイガー・ウッズの超弩級のスキャンダルのおかげと言っても良いと思う。実力抜群だが世事に疎く、スキャンダルに打たれ弱いところなど、二人は似ているように思う。
A-RODはこれまで、ほとんど故障らしい故障を知らずにやってきた。好不調の波はもちろんあったが、ここまで落ち込んだことはない。35歳と言う年齢は、一般的には円熟期と言うべきだが、長期離脱を余儀なくされた臀部の故障、ポストステロイド、さらにはタシェアラという新たな若い主軸の登場などで、STATSがさらに落ち込む可能性もなくはない。2009年のような成績がもう1年続くと、ゲレーロやオルティーズのように信頼感が一気に下落しかねない。
2008年から始まった10年契約年俸2億7500万ドルが、巨額の不良債権になる可能性さえあると思う。
 

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ホルヘ・ポサダの不思議|2009ベテランの勤務評定‐11

ポサダのSTATSを見て思うのは「捕手」という但し書きがなければ、実に平凡な成績だということだ。捕手でなければ、NYYのレギュラーの座を10年以上のキープすることはできなかっただろう。もちろん、捕手でなければ出場機会は増えただろうが、その数字を積み上げたとしてもスラッガーとしては並みだ。それでいてポサダは「捕手の守備に問題がある」との評価が定着している。不思議な存在だと思う。
 
ポサダはプエルトリコのアルハンドリノ高校から1990年ドラフト24順目、629位と言う低い順位でNYYに入った。この年のいの一番はご存じチッパー・ジョーンズだ。捕手で入団したのだが、91年には2Bで64試合も出場している。捕手としての評価が低かったからだ。問題があったのはキャッチング。93年21歳のポサダはA+で107試合で38ものパスボールを記録している。94年までポサダはOF、2B、3Bなど毎年捕手以外のポジションをかなりの試合数守っている。
95年MLBに上がってはじめてポサダは捕手一本になる。この年、NYYのレギュラー捕手は強打のマイク・スタンレーだったが、翌年BOSに移籍、代わってCHCからジラルディがやってきた。今のポサダのボスである。ポサダはジラルディと激しいポジション争いをした。ジラルディは確実性のあるバッティングをしたが、長打力はなかった。ポサダは長打力がどんどんついてきた。その上に捕手では珍しいスイッチヒッターだ。だんだんに起用数が増え、98年に両者の試合数は逆転、99年シーズン終了後にはジラルディはCHCに戻っていくのだ。
ポサダは強肩ではあったが確実性に乏しく、相変わらずキャッチングに難がある(NHKのMLB放送で梨田昌孝が再三指摘していた)。また球さばきがやや軽率だといわれる。しかし、投手のリードは優れているとされ、多くの投手がポサダを相方に選んでいる(城島の例を見ればわかるようにこれは当たり前のことに見えて、大事なことだ)。
また、ポサダは得点圏での打率、OPSが高い。他チームなら試合の終盤にチャンスが巡ってきて、捕手の打順になると代打を出すことが多い。しかしポサダならその必要はない。しかもスイッチヒッターだから左右両投手に対応できる。使い勝手が良い。

ポサダはジグソーパズルのピースのように、NYYのフォーメーションにはまっているのだ。
ポサダは2010年が4年契約の最終年になる。2010年オフにFAになるマウアーを視野に入れるならば、NYYは本格的な捕手の補強は見合わせるだろう(本日時点でNYYの捕手のロースターはポサダと好守の若手セルベリだけだ)。ポサダは今年一年、NYYのホームベースを守ることになるのだろう。来年には40歳になるポサダにとって、あるいは今季が最終年になるのかもしれない。
 

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ジアンビ、150万ドル1年で残留|2009ベテランの勤務評定‐09

2001年、イチローがMLBに挑戦した年、アリーグで最強の打者は間違いなくOAKのジアンビだった。前年にMVPを獲得したジアンビは、引き続き抜群の数字を残した。この年はSEAが記録的な大勝ちをした年だったが、MVPは連続でジアンビかと思われた。しかし281対289の僅差でイチローに奪われた。ジアンビは、1999年(8位)、2000年(1位)、2001年(2位)、2002年(5位)、2003年(13位)、2005年(18位)、2006年(14位)と、MVP投票で票を獲得している。タイトルには縁がなかったが、リーグで屈指の貢献度の高い打者だったのだ。
 
ジアンビはセイバーメトリクス的にも非常に優秀な打者だった。選球眼が良くて出塁率が極めて高い。本塁打だけでなく二塁打も多い。ミートも巧みだったのだ。2002年NYYに7年総額1億2千万ドルで移籍した時は、千両役者の移籍という感じがしたものだ。
このジアンビの舞台が暗転したのは、2004年オフに筋肉増強剤の使用を自ら認めたときだ。非常にしおらしい告白だったが、なぜかあまり同情を引かなかった。折しも成績が下降気味だっただけに、ジアンビの過去の活躍はステロイドによるものとみなされた。
以後、長打力は時折見せるものの、満足な数字を残すことなく評価を下げ続け、2009年にはOAKに移籍。年俸は400万ドルだった。しかし2割に足らない打率、OPSも.697と低迷を続け、シーズン途中にCOLに。主に代打で2本塁打したもののシーズンオフにFAとなり、買い手を探したが、結局どこからも声がかからず、150万ドル1年でCOLと再契約した。
かつてNYYで、ジーター、A-RODの前後でリーグ最強打線を組んだデーモン、ジアンビ、松井、アブレイユは今、散り散りばらばらとなった。実力、実績は伯仲していた4人だが、境遇も年俸も、今は大きく異なっている。MLBという世界の浮き沈みの激しさを実感する。
 

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シェフはもう終わりなのか…|2009ベテランの勤務評定‐09

ゲーリー・シェフィールドにはまだオファーがないようだ。

シェフは、あのドワイト・グッデンの母がたの甥に当たる。体は小さいがバットスピードの速い強打の内野手として知られた。若いころはSTATSが安定しなかったが、1992年SDに移籍してからは本格的に実力を発揮する。そして94年に外野に転向してからは、MLBでも最もうるさい打者の一人になった。大きいのを打つだけでなく、なかなかアウトにならない打者と言う印象だった。IsoD(出塁率-打率)は、常に.100を大きく超えた。つまり、選球眼が極めて良かった。
小さな体をフルに使うためか、怪我が多く、フルに出場したシーズンは少ない。ために通算打率が.292と高い割に3000本安打には届いていない。殿堂入りの可能性はあるが、多くの当代の強打者と同様、彼もミッチェル・レポートに名前が載っている。
シェフは、負けじ魂の塊のように見えた。日本人選手に異様な闘争心を持ったのも、一時期のNPBブームに反発したからだろう。「イチローくらいの安打数はホームランを打たなくていいのなら打って見せる」と言ったのも確か彼だ。日本人投手にはとにかく強かった。
 それでいて、どこかユーモラスで、魅力的で、MLBにしかいない選手だと思った。2008、2009年とめっきりパワーが衰えた感があるだけに仕方がないかもしれないが、もう少しあの神経質にぴっぴっとバットを動かすバッターボックスを見てみたい。
 
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マニー・ラミレス、今年は「本気」|2009ベテランの勤務評定‐08

あれは幻だったのか、と思ってしまうのだが、確か一昨年、深いレフトフライをランニングキャッチしたマニー・ラミレスは、その勢いで外野スタンドに駆け込んで、観客とハイタッチをしてからボールを内野に返したことがある。フェンウェイでなかった思うが、確かそのために返球が遅れ、進塁を許したはずだ。2008年、すでにマニーはBOSでプレーすることに倦んでいたのかもしれない。
 
マニー・ラミレスは、STATSだけを見れば確実に殿堂入りする選手だ。間もなく2500本安打、550本塁打。打点も1788。打率も.313、出塁率.411、OPSは平均で1.000を超え、RC27も8点をオーバーする。本塁打ではグリフィやA-RODにかなわないが、総合的なレベルの高さでは当代随一と言って良いだろう。
キャラクターからして本人が殿堂入りを望んでいるかどうかはわからないが、STATSだけでいえば引退後5年での殿堂入りは当確だ。
しかしながら、昨年薬物規定違反で50試合を欠場。彼の場合、過去ではなく2009年シーズン前のテストテロンの服用だったのだから罪深い。
これによって、クレメンス、ボンズ、マグワイアら「ステロイドでSTATSを稼いだ選手」の仲間入りをしかねない情勢となった。
マニー・ラミレスは残る現役生活をかけて、彼のSTATSが薬物ではなく実力で勝ち取ったものであることを証明しなければならない。ただ、マニー・ラミレスが多くのステロイド選手と異なるのは、今に至るも実力はほとんど衰えていないことだ。選球眼や長打力、勝負強さは健在である。もともと、全試合全力でプレーするタイプではないから、余力が常にある。今季はLADに移った直後のような「本気のマニー」を見せてくれるのではないだろうか。

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トレバー・ホフマンはいつまで頑張れるのか?|2009ベテランの勤務評定-07

MLBには、不老不死伝説を信じたくなるような恐ろしいベテランが何人かいるが、ホフマンはその最右翼だろう。ここ数年、数字が悪化していたからそろそろソフトランディングかと思っていたら、MILで素晴らしい数字を残し、2010年800万ドルの1年契約(2011年は球団側オプション)を勝ち取った。

 

今では信じられないが、ホフマンは1989年SSとして11順目(288番)でCINに入団している。1順目にフランク・トーマス、チャック・ノブロックらがいる。しかし、打撃不振のために2年目途中から投手に転向、中学時代以来のマウンドに立つ。そんな経歴だけに、ホフマンは最初からリリーフ投手だった。93年のエクスパンションドラフトで新球団FLAに移籍。ここでセットアッパーとしてMLB定着を果たし、その年にトレードでSDに移り、ここからクローザー一筋の人生が始まるのだ。若いころは速球派だったが、95年に肩の手術をしてからは、チェンジアップを武器とした技巧派になった。しかし奪三振率は極めて高い。2003年には手術によるDL入りをするが、その年を除いて常に絶対的なクローザーとして君臨した。その節制ぶり、調整の見事さは、弟子といえる大塚晶則のブログで知ることができる。
しかし2007年からの2年は、肝心なところで打たれるシーンが増えてERAが下がっていた。特に左打者の被打率が2007年.299 2008年..291と悪化していた。
2009年にMILと400万ドルの1年契約をしたホフマンは見事に立ち直った。遅い速球とチェンジアップのコンビネーションが復活。左打者への被打率が.222と改善した。
もともとホフマンはリベラのように打者をぴしゃりと押さえるタイプではなく、最終的な勝負事に勝つという投手だ。その投球術がさえたのだと思う。
ホフマンは2004年9月29日以来、1イニングより多くを投げたことがない。290試合連続で1イニング以下の登板である。恐らくは契約条項にあるのだろうが、その点でも筋金入りのクローザーだと思う。
パワーではなく、技の冴えで復活したホフマン。優れた調整法も身についているし、あと2年、45歳くらいまでは活躍するのではないか。
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