ウェークフィールドの賞味期限|2009ベテランの勤務評定‐14

たまたま15年前の週刊ベースボール増刊号「MajorLeagueReview’95」を見ていたら、ウェークフィールドの記事が載っていた。95年にPITからBOSに移籍したウェークフィールドは8月13日までに14勝1敗ERA1.65 という活躍を見せた。その後は打ちこまれたがサイヤング賞の候補になった。前年1試合もMLBで投げなかった投手がサイヤング賞を受賞すれば史上空前のことだったが、ランディ・ジョンソンに奪われた。これがウェークフィールドの実質的なデビューだった。この年は野茂英雄のデビュー年だが、ウェークフィールドがブレークした年としても記憶されているのだ。

ウェークフィールドは88年に8順目でPITに入団している。同期には隻腕の名投手ジム・アボットやロビン・ベンチュラ、ティノ・マルチネスらがいる。この顔触れ、ふた昔も前の選手たちだ。ウェークフィールドがいかに古いかと言うことだ。驚くべきことに、ウェークフィールドは内野手としてプロ入りしている。しかし88、89年合計で256打数51安打4本塁打28打点という成績を残して投手に転向する。もともと大学時代は投手と野手を兼任していたが、プロ入り後は野手に専念、それが通用しないとわかり投手に転向。スプリングキャンプで子供のころに投げていたナックルボールを投げるようになり、次第に多投するようになった。しかし、MLBのレベルではSTATSは安定せず、94年はついにマイナー暮らしに終わる。そしてオフに投手の数がそろわなかったBOSにトレードされた。このBOSのスプリングキャンプで、ナックルボーラーの神様ともいえるフィル・ニークロ、ジョー・ニークロの兄弟から指導を受けて、突如開眼したのだ。
以後、15年の長きにわたって、ウェークフィールドはBOSの一員として先発のマウンドを守ってきた。この間に球種は増えていない。90%が100km/h前後のナックルボール。後は申し訳程度の速球とスライダー、これで15年間やってきているのだ。ERAは通算4.33と良くない。WHIP1.35も合格点とは言い難い。しかし、それでも勝星を上げてきた。肝心のところでナックルボールがうまく機能するのだ。これはスポーツと言うより「芸」の世界に近い。バリテックがナックルの捕球が苦手だったために、ミラベリなどウェークフィールド専用の捕手も用意された。ウェークフィールドは常に4、5番目の先発投手だったが、確実にその程度の数字はあがるので、チームとしても重宝したのだ。
ウェークフィールドはジーター(103打数31安打.301)やオルドニェス(41打数16安打.390)などバットコントロールの良い打者には打たれたが、ジアンビ(92打数15安打.163)やオーブリー・ハフ(55打数9安打.193)など左の強打者に強かった。イチロー(29打数7安打.241)や松井秀喜(49打数10安打.204)も苦手にしていたが、岩村明憲は彼を得意にしていた(27打数11安打.407)。
2009年は夏前にローテーションを外れ、8月に復帰後も成績はぱっとしなかったが、BOSは2009年11月9日に早々と2年契約を結んだ。よほどこの投手の使い勝手の良さが気に入っているのだろう。ビクター・マルチネスがウェークフィールドの球を受けることを苦にしないのも好材料だ。(ちなみにビクター・マルチネスはウェークフィールドを15打数6安打.400と得意にしていた。苦手が1人減ったことも好材料だ)
15年前のその記事の最後は「ナックルの行方は風にしかわからないように、ウェークフィールド自身の今後も誰にもわからない」と締めくくられていた。まさか、この投手が40歳をとうに過ぎて、MLBのマウンドに立っているとはだれも思わなかったのだ。

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パリーグで敬遠と死球の多い打者は?|2009年のMLB、NPB-26

敬遠(IBB)と死球(HBP)。セリーグ、規定打席以上の選手のランキング。
 
パリーグでも最も恐れられている打者は、中村剛也ではなく稲葉である。死球が多いことも、稲葉が投手に警戒されていることの表れだろう。糸井、田中と敬遠の上位に日ハムの選手が並ぶのが目につく。
驚くことに中村剛也の敬遠は0。もちろんきわどいところをついて歩かされることはあっただろうが、圧倒的な本塁打数の割に投手は恐れていない。172cmという短躯も威圧感を与えていないのか。
意外と言えば、死球を最も多くとっているのは楽天の草野。四球、三振ともに少なく積極的に向かっていく打者だが、それだけに当たることも多いのか。怪我が気になるところだ。

 

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A-RODは坂を登りきったか?|2009ベテランの勤務評定‐13

ステロイド事件の発覚、臀部の故障で2009年シーズンはじめの28試合を欠場したA-ROD。MLB初出場は5月8日だった。その試合で1号を放ったのはさすがだった。また、それまで不振だったタシェアラが、A-RODが4番に座ったとたん調子を取り戻した(4月AVG.200、5月.330)のは、千両役者面目躍如だが、本人のSTATSは不満足なまま終わった。
 
本塁打30本はAL13位タイ、打点100は12位タイ、打率.286は34位。ただOPS.933は6位だった。結局、毎年どこかで見せる驚異的なストリームがなかったのだ。
プライベートでも離婚と、マドンナとのスキャンダル、そしてステロイドの暴露本。それでも、身辺がそれほど騒がしくないのは、タイガー・ウッズの超弩級のスキャンダルのおかげと言っても良いと思う。実力抜群だが世事に疎く、スキャンダルに打たれ弱いところなど、二人は似ているように思う。
A-RODはこれまで、ほとんど故障らしい故障を知らずにやってきた。好不調の波はもちろんあったが、ここまで落ち込んだことはない。35歳と言う年齢は、一般的には円熟期と言うべきだが、長期離脱を余儀なくされた臀部の故障、ポストステロイド、さらにはタシェアラという新たな若い主軸の登場などで、STATSがさらに落ち込む可能性もなくはない。2009年のような成績がもう1年続くと、ゲレーロやオルティーズのように信頼感が一気に下落しかねない。
2008年から始まった10年契約年俸2億7500万ドルが、巨額の不良債権になる可能性さえあると思う。
 

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セリーグで敬遠と死球の多い打者は?|2009年のMLB、NPB-25

敬遠(IBB)と死球(HBP)。セリーグ、規定打席以上の選手のランキング。
 
セリーグの野球では敬遠はほとんどないといってよいだろう。ただし、投手が真っ向から勝負しているかと言うと、そうではなくて、捕手が座ったままきわどいコースをついているということだ。
金本はその中で最多の6個を選んでいる。金本は、春先に恐ろしいほど当たっていた。この時期、投手はさすがに勝負を避けたのだ。
死球はガイエル、ブランコと2外国人が上位。彼らは明らかに意識して死球をとっている。青木は、ベースにかぶさるようなフォームで打席に立つが、それだけに死球も多い。しかし、春先の死球の影響でシーズン前半不振が続いたことを考えると、良いことだとは一概に言えない。

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金本知憲は休むべきではないか|エピソード2009‐43

2009年は強い金本と弱い金本が同居していた。4月には2度の1試合3本塁打、月間33安打、8本塁打、30打点と恐ろしい活躍だったが、シーズンが終わってみれば打点は91、21本塁打に終わった。夏場などは打席に立っても打ちそうな感じがしなかったものだ。
 
金本は遅咲きだった。前田智より3歳、江藤智よりも2歳年長だが、レギュラーになったのは彼らより遅かった。当初は中距離打者だったが、次第に長打力を蓄えていった。最初に目立ったのは足の速さだ。守備範囲が広いな、と思った覚えがある。阪神に移籍したころは、松井秀喜に匹敵するスィングの速さが目についた。基本的な身体能力の高さを感じた。鍛錬を重ねて自らを改造してきた、という印象だ。
金本は阪神移籍後の2004年に打点王を取ったが、それ以外にめぼしいタイトルはない。強打というよりバランスの良い打者だと思う。またチームにとっては「休まない」という点で、大きな貢献をしている。
1998年7月10日から金本は1619試合連続出場を続けている。それも全イニング出場している。11年以上に渡って、試合がある限り金本はただの1秒も欠場することはなかったのだ。これはすさまじい記録だ。超人的な節制と鍛錬、そして運の良さがなければ達成できない世界記録だ。
しかしながら、2009年の後半などを見ていると、金本はもういっぱいっぱいだという気がした。こんなときに1試合でも休むことができたら、金本は充電できるのではないかと思う。精神的にも「絶対に休めない」と思うより「やることをやったら、後は任せよう」と思える方が楽なのではないか。
2151試合連続出場を記録して引退した衣笠祥雄は、引退前年には打率最下位の.205ながら全試合出場した。この時の苦しさ、つらさを後年語っているが、記録が大きくなると監督もチームも、もはや欠場させることはできなくなる。松井秀喜のように怪我でもしない限り、本人が決断するしかないのだ。
この衣笠を超える2632試合連続出場の記録を持つカル・リプケンJrは1998年最終戦に、自らが欠場を申し出ることで記録に終止符を打った。この賢明さを金本は見習うべきだと思う。リプケンは、記録が途切れてからも中心打者として3年間で47本塁打181打点を重ねた。もちろん、それからは適宜休養を取りながら出場した。
燃え尽き、朽ち果てて選手生命を終えるのも美学かもしれないが、それはチームに迷惑をかけかねない。金本は、休むことで選手寿命を永らえさせるべきだと思う。

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ナリーグで敬遠と死球の多い打者は?|2009年のMLB、NPB-24

昨日のデータにナリーグの選手が3人混ざっていました、お詫びいたします。(修正済みです)
敬遠(IBB)と死球(HBP)。ナリーグ、規定打席以上の選手のランキング。

予想通り、プホルズが敬遠の第一位。強打者の勲章だ。エイドリアン・ゴンザレス、フィルダーが続くのもうなずける。フィルダーの相棒で力量拮抗するブラウンが敬遠1なのは、ピンチで投手がフィルダーとの勝負を避けていることを表しているのだろう。まだナリーグでは敬遠策は有効なのだろう。
現役で最も多く死球をとっているのは、ジェイソン・ケンドール。248は歴代でも5位。1位のヒューイ・ジェニングスとは39個の差。2009年も17個の死球を得ているが、このペースでいくと2、3年で歴代一位になりそうである。ただし、ケンドールはその分故障も多いが。MLBでは死球も選ぶものだということだ。

 

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ホルヘ・ポサダの不思議|2009ベテランの勤務評定‐11

ポサダのSTATSを見て思うのは「捕手」という但し書きがなければ、実に平凡な成績だということだ。捕手でなければ、NYYのレギュラーの座を10年以上のキープすることはできなかっただろう。もちろん、捕手でなければ出場機会は増えただろうが、その数字を積み上げたとしてもスラッガーとしては並みだ。それでいてポサダは「捕手の守備に問題がある」との評価が定着している。不思議な存在だと思う。
 
ポサダはプエルトリコのアルハンドリノ高校から1990年ドラフト24順目、629位と言う低い順位でNYYに入った。この年のいの一番はご存じチッパー・ジョーンズだ。捕手で入団したのだが、91年には2Bで64試合も出場している。捕手としての評価が低かったからだ。問題があったのはキャッチング。93年21歳のポサダはA+で107試合で38ものパスボールを記録している。94年までポサダはOF、2B、3Bなど毎年捕手以外のポジションをかなりの試合数守っている。
95年MLBに上がってはじめてポサダは捕手一本になる。この年、NYYのレギュラー捕手は強打のマイク・スタンレーだったが、翌年BOSに移籍、代わってCHCからジラルディがやってきた。今のポサダのボスである。ポサダはジラルディと激しいポジション争いをした。ジラルディは確実性のあるバッティングをしたが、長打力はなかった。ポサダは長打力がどんどんついてきた。その上に捕手では珍しいスイッチヒッターだ。だんだんに起用数が増え、98年に両者の試合数は逆転、99年シーズン終了後にはジラルディはCHCに戻っていくのだ。
ポサダは強肩ではあったが確実性に乏しく、相変わらずキャッチングに難がある(NHKのMLB放送で梨田昌孝が再三指摘していた)。また球さばきがやや軽率だといわれる。しかし、投手のリードは優れているとされ、多くの投手がポサダを相方に選んでいる(城島の例を見ればわかるようにこれは当たり前のことに見えて、大事なことだ)。
また、ポサダは得点圏での打率、OPSが高い。他チームなら試合の終盤にチャンスが巡ってきて、捕手の打順になると代打を出すことが多い。しかしポサダならその必要はない。しかもスイッチヒッターだから左右両投手に対応できる。使い勝手が良い。

ポサダはジグソーパズルのピースのように、NYYのフォーメーションにはまっているのだ。
ポサダは2010年が4年契約の最終年になる。2010年オフにFAになるマウアーを視野に入れるならば、NYYは本格的な捕手の補強は見合わせるだろう(本日時点でNYYの捕手のロースターはポサダと好守の若手セルベリだけだ)。ポサダは今年一年、NYYのホームベースを守ることになるのだろう。来年には40歳になるポサダにとって、あるいは今季が最終年になるのかもしれない。
 

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アリーグで敬遠と死球の多い打者は?|2009年のMLB、NPB-23

敬遠(IBB)と死球(HBP)に相関関係はないだろうが、合わせてランキングを見てみたい。まずはアリーグ。規定打席以上の選手のランキング。

 

敬遠と言えば、強打者にはつきものという感じだが、ことアリーグでは最初から勝負を捨てる戦略はあまりとられていない。打点が規定打数以上で最下位から2番目のイチローが1位である。イチローが敬遠されるのは、点数が競った状況での終盤、スコアリングポジションにランナーを背負ってイチロー。打率が.400近く、どんな球でもフェアグランドにはじき返す打者を迎えて、チームは敬遠と言う策をとるのである。戦術的な敬遠なのだ。
死球は打席にかぶさるタイプの選手に多い。1位のブランドン・インジは、MLBの公式サイトでも紹介されているが痛くない死球を取る名人のようである。打率.230のインジにとって、17の死球は大きい。チューの17死球も彼の積極的な打撃を反映しているようだ。

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ジアンビ、150万ドル1年で残留|2009ベテランの勤務評定‐09

2001年、イチローがMLBに挑戦した年、アリーグで最強の打者は間違いなくOAKのジアンビだった。前年にMVPを獲得したジアンビは、引き続き抜群の数字を残した。この年はSEAが記録的な大勝ちをした年だったが、MVPは連続でジアンビかと思われた。しかし281対289の僅差でイチローに奪われた。ジアンビは、1999年(8位)、2000年(1位)、2001年(2位)、2002年(5位)、2003年(13位)、2005年(18位)、2006年(14位)と、MVP投票で票を獲得している。タイトルには縁がなかったが、リーグで屈指の貢献度の高い打者だったのだ。
 
ジアンビはセイバーメトリクス的にも非常に優秀な打者だった。選球眼が良くて出塁率が極めて高い。本塁打だけでなく二塁打も多い。ミートも巧みだったのだ。2002年NYYに7年総額1億2千万ドルで移籍した時は、千両役者の移籍という感じがしたものだ。
このジアンビの舞台が暗転したのは、2004年オフに筋肉増強剤の使用を自ら認めたときだ。非常にしおらしい告白だったが、なぜかあまり同情を引かなかった。折しも成績が下降気味だっただけに、ジアンビの過去の活躍はステロイドによるものとみなされた。
以後、長打力は時折見せるものの、満足な数字を残すことなく評価を下げ続け、2009年にはOAKに移籍。年俸は400万ドルだった。しかし2割に足らない打率、OPSも.697と低迷を続け、シーズン途中にCOLに。主に代打で2本塁打したもののシーズンオフにFAとなり、買い手を探したが、結局どこからも声がかからず、150万ドル1年でCOLと再契約した。
かつてNYYで、ジーター、A-RODの前後でリーグ最強打線を組んだデーモン、ジアンビ、松井、アブレイユは今、散り散りばらばらとなった。実力、実績は伯仲していた4人だが、境遇も年俸も、今は大きく異なっている。MLBという世界の浮き沈みの激しさを実感する。
 

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パリーグで最も辛抱強い打者は?|2009年のMLB、NPB-22

四球/三振。パリーグ規定打席以上のランキング。
 
パリーグには、四球を意識して選ぶ打者はいないと言っても良い。三振より四球が多い打者は皆無なのだ。四球を最も多く取った打者は田中。しかしわずか79でしかない。
中村剛也は、間違いなく最強打者だったはずだが、四球は52。三倍近い150もの三振を喫している。投手は臆することなくどんどん攻めてくる。そして中村もどんどん打ち返す。大らかな野球である。
パリーグは、セリーグやMLBとは違う野球が行われているということだ。

 

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