これまで、MLBでは130年間で18回しか記録されていない完全試合が同じ月に2度あるなんて思ってもみなかったから、見落としていた。PHIのロイ・ハラデーが、昨日、FLA戦でパーフェクトを達成した。MLBで19回目、今世紀に入ってからは4度目の快挙である。
TORから移籍して、快調な滑り出しを見せたハラデーだが、ここのところ足踏み状態だった。インターリーグのBOS戦では、7失点(自責点6)。手の内を知られた相手ということもあったかもしれないが、調子は下り坂に見えた。
この日も立ち上がりは、もたついた印象だった。1、2回の間に3ボールまでいった打者が3人もいた。しかし、何とか打ち取る。相手打線は決してたんぱくではなく、ハラデーの球によく食いついて行った。この日はカッターのキレが良かったようだ。また、球速が違う二つのカーブ、チェンジアップの緩急が打者を苦しめた。
7回、ハラデーは最大のピンチを迎える。コグランを2-2から見逃し三振に切って取ったあと、ギャビー・サンチェス。この打者はMLBでの実績はほとんどないが、4回にセンターへいい当たりのライナーを打っている。サンチェスは7球粘ってレフトへヒット性の当たりを打ったがイバニェスがこれをキャッチした。
FLAは9回、代打攻勢に出たが、ハラデーは難なく片付け、大記録を達成した。115球、うちストライクは72球。かなり苦しみながらの記録だったと思う。
一球ごとに追い掛けてみて、ハラデーは松坂大輔とほとんど同じ球種、球速で勝負していることに気がついた。150キロ前後の速球と、145キロ前後のカッター、130キロ台のチェンジアップ(ハラデーの方が少し速い)、そして120キロ台のカーブ(松坂はこれに加えスライダーがある)。しかし、両者のSTATSの違いはあまりにも大きい。
一つには、コントロールの問題がある。ハラデーは3ボールになってもストライクを入れることができる。また、カッターはハラデーの方が上だ。そして、カーブの使いどころが非常にうまいこと。球速の落差を見せる投球がさえわたっていた。
一つ一つの要素は、ほんの少しの違いだが、総合すると大きな差になる。松坂にとっても参考になるピッチングだったのではないだろうか。
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この選手あたりから、巨人選手の「価値」というものが、大きく変わったと思う。現在は、独立リーグでプレーをしている。
【キャリア】
茨城県古河市出身。常総学院高校では甲子園に三回出場。早稲田大学ではSS、主将として活躍。日本生命を経て95年のドラフト2位で巨人入団。内野手として活躍。2007年横浜移籍。2010年からアトランティックリーグ、ランカスター・バーンストーマーズ。
【タイトル、それに準ずる記録】
○最多得点1
・打撃10傑入り1 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上10シーズン
新人王 オールスター出場6 ゴールドグラブ4
【論評】
「二四が八」語呂の良い背番号をつけてデビューした仁志は、大卒の有望新人として原辰徳の後継者と目された。確かにエリートコースを歩んではいたが、仁志は、優等生タイプではなく、常に「自分の視点」をもち、組織に対しても異議申し立てをする選手だった。また、独自の野球理論を持つ選手でもあった。
新人王を獲得した時は3Bだったが、翌年から2Bに。打撃ではむらが多く、ついに3割を打つことはなかった。長打力はそこそこあり走塁も巧みだったが、肝心な時に故障をすることも多かった。守備面では理論派らしい頭脳的なプレーが目立った。
様々な才能が見え隠れするが、この選手はどこがハマり役なのか、指導者にとっては見極めにくい存在だったと思う。1番でも2番でも3番でも、下位でも使えそうな選手だった。同期の僚友清水と1、2番、9番1番のコンビを組むことも多かった。ただし、四球は少なく出塁率は高くない。
この選手は入団時、原辰徳から直々に歓待され「巨人命」という感じだった。しかし、2006年ポジションを奪われると自らトレードを申し出た。かつて、仁志クラスの選手であればこの時点で引退、指導者の道を歩んだはずである。「巨人レギュラー」の箔で一生飯が食えたはずだが、今はそうではなくなっている。駒田、川相という先輩の移籍を目の当たりにしたことも影響したかもしれない。
仁志は、現役のキャリアを重ねることを選択し、2年間レギュラーを張り、横浜を戦力外となった後もアメリカに活躍の場を求めた。
昨日時点で仁志はランカスター・バーンストーマーズで、25試合に出場し91打数20安打1本塁打3打点2盗塁 打率.220を記録している。
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米ゴールデンベースボールリーグのチコアウトローズは今月始まったリーグ戦で、北地区のトップを快走している。で、吉田えりが土曜日の試合に先発登板した。
相手は南地区最下位のチジュアナ・シマロンズ。この試合は現地午後7:15に始まったが、ほぼ満員だったようだ。アメリカでも女性が男性のプロ野球で投げるのは極めて珍しいからだ。
吉田は1回、先頭のオチョアに安打で出塁されるが、続くアンドラスをキャッチャーフライに打ち取り、メリアンを6G併殺にして無失点で抑えた。
チコの打線は初回から活発で、2死満塁で吉田に打順が回ってきた。ここで吉田が振ったバットにボールが当たってライト前にボールが転がり、吉田は初打席初安打初打点となった。
2回、4点をもらった吉田だったが、2死からロペスに四球を与え、続くベラスケスに一発を喰らい、2点を失った。
3回は簡単に2死をとるが、アンドラス、メリアンに連打を浴び、メロに四球、さらにワイルドピッチ2つ、盗塁などもあり、ぺローにも安打を打たれて2失点した。最後はメロがホームで刺されて3アウト。吉田はこの回で降板した。
正直言ってよくわからない。大人の試合に子供が混ざって、緩いボールを投げてもらって喜んでいるだけではないか、とも思うのだが。
昨年の神戸の独立リーグの時も、吉田はありていにいえば客寄せパンダだったが、アメリカでも同じことをしているのではないか。
日本では女子プロ野球が開幕した。懸命なプレーが人気を呼んでいるようだが、その方がまともな感じがする。通用するのならともかく、飽きられれば吉田は日本に帰ってくるしかないのではないか。
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実績のある現役選手についても簡単に紹介しておきたい。巨人時代の松井秀喜について。
【キャリア】
石川県根上町出身。星陵高校時代に甲子園で5打席連続敬遠されるなど屈指の強打者として全国に知られる。93年ドラフト1位で巨人入団。外野手として活躍。2003年NYYに移籍。2010年LAAに移籍。
【タイトル、それに準ずる記録】
NPB
●首位打者1 ●本塁打王3 ●打点王3 ●最高出塁率3 ○最多得点5 ○最多四球4○最多得点5
・打撃10傑入り5 ・OPS.900以上7 ・RC100以上7 規定打席以上9シーズン
MVP3 ベストナイン8 オールスター出場9 ゴールドグラブ3
MLB(2009年まで)
・打撃10傑入り1 ・OPS.900以上1 ・RC100以上2 規定打席以上5シーズン
オールスター出場2
【論評】
このSTATSを見ていると、松井秀喜は王貞治の引退以来14年目にして現れた、巨人にとっては待望久しい「本物の大打者」だったことがわかる。
毎年のようにタイトルを獲得し、各賞を総なめにする。長打があるだけではなく、安打も安定して打つことができる。鋼鉄のような巨体で故障もない。そして毎年のように進化を続けた。10年目の2002年には本塁打は50本に達した。このままいけば、NPBの主だった打撃記録は松井が塗り替えるものと思われた。バットスイングの速さ、そしてミートの巧みさ。初期はスランプ持ちだったが、それも解消された。さらに言えば「不動心」に象徴される清廉潔白さも巨人にふさわしかった。
2003年のNYY移籍はイチローの驚異的な活躍が布石となっているだろう。ともにNPBでは傑出した存在だった松井にしてみれば、同様の活躍ができると考えても不思議ではない。
しかしMLBでは期待に十全に応えたとは言い難い。大けがの影響はあったとはいえ、すべてのSTATSほぼ80%の数字になってしまった。松井はMLBとNPBの野球の差を体現していると言って良いだろう。
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「好事魔多し」とはまさにこのことだ。千葉ロッテ不動の2番として縦横の活躍をしていたルーキー荻野貴司が21日のヤクルト戦1回に2盗した際に右ひざ半月板を損傷した。その試合は最後まで出場し、2安打を放っていたから大した怪我ではないと思っていたが、試合後に痛み出したということだ。
3月に鮮烈なデビューを果たした荻野だが、4月、5月とシーズンが深まっていっても大きなスランプには陥らず、打率3割を維持。盗塁と犠打でもリーグトップを走り、しばしば好守も見せて、リーグを代表する外野手になった。とにかく何もしないで引き下がることがほとんどない。これまで195打席に立って安打57、犠打21、犠飛4、四死球20。52%の打席で「何かしている」のだ。4月16日から25日までは8試合連続犠打。5月9日には1試合4盗塁。また、2番打者なのに4犠飛というのも特筆ものだ。小さい体だが、必要な時には外野フライを打つ打力も持ち合わせているのだ。新人王はおろか、盗塁王そしてベストナインの可能性もあっただけに、痛恨の怪我だった。
西村監督は荻野の怪我を受けても、オーダーを変えることなく2番には早坂を代役に立てている(指名打者がない交流戦は今江)。
26日には手術をした。程度にもよるが、半月板手術は術後2カ月リハビリ期間が必要とされる。オールスター明けには復帰の予定だ。5月に入ってから少し息切れ気味だっただけに、格好の休養とでも考えてあせらず治療に専念し、チームが胸突き八丁にさしかかる夏場に、元気な姿を見せてほしい。
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巨人が他チームの大物打者を次々と獲得するなかで、生え抜きとしてレギュラーの座を維持し続けた好打者。心身ともにタフネスだった。
【キャリア】
東京都足立区出身。浦和学院高校から東洋大学。95年のドラフト3位で巨人入団。外野手として活躍。2009年西武移籍。同年引退。解説者。
【タイトル、それに準ずる記録】
●最多安打1 ○最多二塁打1 ○最多三塁打1
・打撃10傑入り4 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
ベストナイン1 オールスター出場2
【論評】
俊足、ミートが巧みでバットスピードが速く、併殺打が少ない左打者。故障は少なく、安定感があったが、清水崇行は“ノンブランド”だった。甲子園には出場していないし、東洋大学でもめぼしいタイトルは取っていない。巨人では即戦力ではあったが、スター選手がひしめく中で、誰かの穴埋め、サポート役を仰せつかることが多かった。巨人のレギュラーなのにオールスター出場はわずか2度。生来の地味なキャラクターも清水をわき役に追いやる手助けをした。
そんな中で2002年191安打を放ったことは特筆に値する。長打も打てる大型の1番打者としてほぼフル出場しての数字だ。惜しむらくは、この打者が早打ちだったこと。この年.314を上げながら出塁率は.350に満たなかった。
監督の交替とともに、守備位置や打順が目まぐるしく変わった。またそういう変更に、清水は器用に対応できる選手でもあったのだ。肩が比較的弱く外野守備は一流とは言えなかったが、守備範囲は広かった。
2006年ごろから故障に苦しみ、レギュラーの座を明け渡すようになる。2009年清水は出場機会を求めて西武に移籍。しかし結果を残せず、同年引退。
他チームであれば、清水はほぼ15年に渡ってレギュラーを張って2000本近い安打を打つことができただろう。イチローと同年齢であり、まだまだ活躍できると思われた。毎年のように変わるチーム方針に翻弄された選手といえよう。
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初球からバリテックが大きく手を伸ばさないと取れないような球を投じた。とにかく直球でストライクがとれない。昨日の松坂はこれにつきた。
球速は150km/hをコンスタントにマークしていたが、打者からほとんど空振りが奪えなかった(3度だけ。前の登板は7度)。切れが良くなかったからだろう。1回に点を取られても仕方がなかったが、球が散っていたからか、各打者はフライを打ち上げた。
2回、3回は例によって少し立ち直り、ストライクも入るようになったが、4回、打順が一巡する頃から各打者はじっくりと見るようになり、たちまち球数が増えだした。四球、安打、死球で無死満塁。まさに累卵の危機だったが、カヤスポのいい当たりがユーキリスのミットに収まり、後続も打ち損じてくれて事なきを得た。その裏にBOSは1点を先取した。
本来ならば松坂はこの幸運を勝ち星へとつなげることができたはずだ。昨日は、本当に調子が悪かったのだろう。5回はストライクが入らなくなった。球速を落としても審判の手が上がらない。この日の主審ジョー・ウェストは、アウトコースのジャッジがたびたびぶれた。そのことも松坂をいらだたせはしただろうが、5回の乱調はそれどころの話ではなかった。バリテックの懸命のリードも及ばなかった。2死を取る間に42球を要し、そのうち23球がボール。
結局、4回2/3を投げ、わずか2安打しか打たれなかったが8四球1死球。
また首脳陣の信頼をつかみ損ねた松坂である。「ダイスケはマウンドに上がってみなければわからない」クラブハウスで、そんなため息まじりの言葉が聞かれたことだろう。
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533犠打のNPBレコードホルダー。そして23シーズンという長い現役生活を送った。スモールボールのスペシャリストとして記憶される名選手。
【キャリア】
岡山県岡山市出身。岡山南高校では春夏甲子園に出場。82年のドラフト4位で巨人入団。内野手として活躍。2003年中日移籍。2006年引退。中日コーチ、二軍監督。
【タイトル、それに準ずる記録】
○最多二塁打1
・打撃10傑入り2 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上7シーズン
ベストナイン1 ゴールドグラブ6オールスター出場2
【論評】
90年から97年までの8シーズンを除けば、川相の野球人生はわき役そのものだった。
打撃の評価が低かっただけに、レギュラー争いでは常に後塵を拝し、出世が遅れた。レギュラーになってからは犠打の記録を次々と破っていった。率直に言って犠打の記録は難易度において他の打撃記録よりは低い。送りバントは作戦の一つではあるが、アウトカウントが増えるだけに相手チームも許容する面が少なからずあるからだ。むしろ、92、93年などは確実性のある好打者として評価すべきだろう。
キャリアの初期には2B、外野としても出場している。守備範囲の広さはリーグ随一。派手さはないが、堅実な守備だった。守備の機敏さでもわかるように足は遅くはなかったが、盗塁はほとんどない。自分の役割を自分で規定していた節がある。
2004年すでにキャリア20年1709試合に出場していた川相は引退を表明したが、原辰徳監督の “人事異動”騒ぎの中で引退を撤回、中日に移籍した。事情はうかがい知れないが、巨人の選手、コーチなどを読売グループの一員と見なす組織の体質に嫌気がさしたのだと思う。
中日では、守備、犠打のスペシャリストとしてしばしば記憶に残る活躍をした。楽しんで野球をしている印象があった。引退後のキャリアを見ていると、川相は読売人脈を離れ、中日人脈の中枢への道を歩んでいるようである。
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21日のNYYに続いて昨日はPHI。ア・ナ最強チームと立て続けに対戦した高橋尚だが、NYY戦よりも内容はさらに良かった。特に6回1死1、3塁でライアン・ハワードを打ち取った打席は圧巻だった。
立ち上がりは速球とシンカーを織り交ぜた投球。やや調子が上がらないビクトリーノ、うるさいポランコを簡単に打ち取って、高橋は落ち着いた感がある。続くアトレーは難敵と思われたが、145km/hの速球を5球続けた後に1球遅いスライダーを交えてタイミングをずらし、7Fに仕留めた。
この日は、フライを打ち上げさせることが多かった。コースよりもタイミングをずらす投球だったということだろう。また、MAX145km/hながら球威もあった。
4回、打順が一巡すると高橋は投球の組み立てをガラッと変えた。ポランコの2球目にどろんと遅いカーブを投げる。実は、このカーブは決め球ではなく見せ球だ。ほぼ同じ球速のチェンジアップ、スライダー、シンカーを織り交ぜ始めたのだ。初対戦の打者は、投球の予測ができずに凡打を重ねていった。特に大砲ハワードには速い球はほとんど投げず、シンカー(チェンジアップか?)、スライダーを細かく球速を変えて翻弄した。
6回、球速の落ちた速球をビクトリーノがセンター前に運び、ポランコの5Gで二進、続くアトレーがスライダーをライト前に弾き返して1死1、3塁。この試合唯一のピンチ、コーチがマウンドで高橋の背中を叩いて激励し、ハワードと対戦。やや球が高めに浮き始めていた高橋だが、この対戦では再び低めに絶妙のコントロール。1球目、2球目とスライダーでハワードの頭を動かして1-1、同じ球速でシンカー(チェンジアップ?)を低めに決めて1-2、ハワードは狙い球を絞れぬままに、さらに低い落ちるボールに手を出して三振。リーグ屈指の強打者を手玉に取っていた。
ボール3は4回あったが、四球を出しそうな気配はなかった。コントロールが良ければ、投手はいかに楽かというお手本のようだった。
8回、五十嵐亮太が登板。DLから復帰した前回NYY戦では1/3回で2安打1四球3失点と散々だった五十嵐だが、最速153km/hの投球は小気味よくPHIの上位打線を抑えた。ただ、投球はやや単調であり、点差が開いていなければPHIの攻め方は変わっていただろうと思われた。
高橋のERAは2.13まで跳ね上がった。日本人選手の失敗が続いているだけに、この快投は素晴らしいの一語。このまま順風満帆が続くとは思えないが、日本人投手の優秀さをこれからもアピールしてほしい。
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そのデビューが初打席満塁本塁打と鮮烈だったために、長距離打者の印象が強いが、駒田は頑健な中距離打者だった。横浜に移ってからの方が、持ち味が出た気がする。
【キャリア】
奈良県三宅町出身。桜井商業高校では剛腕強打で知られた投手。80年のドラフト2位で巨人入団。投手から内野手に転向し活躍。94年FAで横浜移籍。2000年引退。解説者、楽天コーチ、解説者、横浜コーチ、解説者。
【タイトル、それに準ずる記録】
○最多二塁打1
・打撃10傑入り5 ・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上12シーズン
ベストナイン1 ゴールドグラブ8 オールスター出場6
【論評】
駒田はOPSが.900を超えたことがない。シーズン本塁打は27本が最高。中距離打者なのだが、満塁本塁打13本(歴代4位タイ)に象徴されるように好機に強い打者だった。
打者としては、2塁打を量産した印象が強い。大きな体で懐にボールを呼び込み、払うようにバットを振っていた。追い込まれるとこつんと当てるような打撃もできた。
1塁手としては的が大きいうえに、ミットさばきも巧みで、何度もワンバウンドをすくいあげたのを見た覚えがある。さらに投手上がりだけに肩も良く、矢のような送球を投げることができた。
巨人のような強力チームでは5番打者が適役だったが、横浜でもロバート・ローズの後を打つことが多かった。今は各球団にいる「つなぎの強打者」の走りのような選手と言えるだろう。カリスマ性はなく、チームワークを大事にするタイプに見えた。マシンガン打線が活躍した横浜優勝の98年は、駒田にとって生涯最高のシーズンだっただろう。
「巨人以外では野球ができない」という巨人選手の意識を変えた存在として、駒田は特筆すべきだろう。すでに駒田の時代には他球団にも偉大な選手がいたし、相対的な巨人のステイタスは下がっていた。しかしFAでの横浜移籍は、一つの時代の終焉を意識させるものではあった。
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