長嶋巨人の1年目、投げても投げても負けばかりの登板を続けていた、真面目な顔を思い出す。
【キャリア】
東京都世田谷区出身。静岡商業高で甲子園準優勝。高校を中退して68 年ドラフト外で巨人入団。投手として活躍。84年KBO三星移籍、87年NPB大洋移籍、92年ダイエー、ヤクルト移籍。同年引退。解説者。
【タイトル、それに準ずる記録】
NPB
●最優秀防御率2 ●最多セーブ2 ●最多奪三振1 ●最高勝率1 ○最多登板1 ○最多投球回1
・防御率10傑入り4 ・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上8シーズン
最優秀投手1 ベストナイン1 カムバック賞1 オールスター出場5回
KBO
●最多勝1 オールスター出場2回
【論評】
韓国籍のためにドラフトにかけなくても良いという当時のルールによって、高校在学中から争奪戦があった。その挙句の巨人入団だったが、球速はあったもののコントロールが悪く、1軍定着まで時間がかかった。長嶋巨人の1年目は好投するものの逆転されて黒星続き。デーブ・ジョンソンとともに低迷巨人の象徴的な存在だった。
しかし、翌年以降コントロールが安定し、エース格となった。しかし旧来のエースのように先発完投するのではなく、先発とリリーフを掛け持ちする投手だった。77年からの3年間はまさに獅子奮迅の活躍だったが、登板過多がたたって以降はシーズン中に何度か故障する投手となり、登板機会が減っていった。
84年に発足3年目の韓国野球に移籍。金日融の名でエースとして活躍。日韓のギャップにも悩んだが、力量の差ははっきりしていた。
3年で日本球界に復帰。以後は徐々に衰えを見せながらも、大洋の主戦投手として活躍した。この頃に大阪球場で見た記憶がある(オープン戦か?)。非常に明るい表情で、ベンチを盛りたてていたのを覚えている。
高校中退から41歳まで、24年に及ぶ長い野球人生を精いっぱい歩んだという印象だ。
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6/26(日本時間27)までCLEの5番を打っていたラッセル・ブラニャンがSEAに復帰した。エゼキエル・カレラ、ホアン・ディアズとのトレードだ。カレラ、ディアズともにマイナー選手。23歳のカレラは俊足の外野手(グティエレスタイプか)、21歳のディアズはSSだ。
27日の試合は欠場したが29日からはスタメンに名を連ねるだろう。
今季のSEAの打線を見るにつけ、ブラニャンは残しておくべきだと思っていたのだが、金額的に折り合わず、放出となった。大きく負けが込んでいるCLEは、150万ドルの年俸負担を軽減する目的もあってトレードに応じたのだろう。
とにかく、今のSEAは、イチロー、グティエレス以外はすべて8番バッターと言っても良い体たらく。
確かにブラニャンが入れば、多少は長打力不足は解消されるだろうが、それにしてもブラニャンかあ、と言う感じだ。この選手は昨年はじめて30本塁打を打って名を上げたが、シーズン通して働いたことがほとんどない。昨年も一昨年も8月にDL入り。ことしも4月にDL入りしている。体が硬く、怪我をしやすい体質なのだ。その上、10本塁打の割にたったの24打点でもわかるように、好機に強いとは言えない(得点圏では.217、2本塁打、14打点)。試合の流れとは無関係にときたま大きいのを飛ばす打者、と言う感じなのだ。
スイーニーがDL入りしたので当面はDHになるかと思われるが、1B守備ではコッチマンに大きく劣る。
クリフ・リー周辺がきな臭いことになっているが、SEAとすればそっちの方がはるかに大変だ。
ブラニャンは、当面、主軸を打つことになるだろうが、昨年のSTATSがフロックだった可能性もある。過大な期待は禁物だろう。
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松井秀喜がNPBで残した本塁打率は13.77。これはすごい数字である。この数字を超える選手(NPBで10季以上在籍)は、タフィ・ローズ(13.52)と王貞治(10.66)しかいない。仮に日本と同じ本塁打率ならばどれくらい打っているか?
MLB歴代176位、ベルトレと同じ261本。
では、本塁打率13.77は、MLB歴代の打者と比べればどういう位置づけになるか?
王貞治はマグゥワイアに匹敵する驚異的な数字。もちろん王はステロイドなしだ。松井秀喜はMLBでは歴代5、6位に相当する。この数字自体にあまり意味はないが、松井がNPBにおいて成し遂げたことの大きさを知る傍証にはなるだろう。
さらに「たられば」。松井秀喜がMLBに行かず、巨人にいたらどんな数字を残していたか?
年間140試合出場として、ざっと計算してみる。
2010年は、2500本安打と600本塁打がかかるシーズンとなったはず。そしてすでに達成していただろう。王貞治以来の大打者の出現だった。
だが、こうも思う。それはそれで素晴らしいことだが、彼がMLBで見せた苦闘と我々に与えた感動も、松井秀喜そのものなのだと。NPBの当代最強打者がMLBに挑戦した、そのこと自体に大きな意義があったと思う。
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V9巨人の「投の顔」。“悪太郎”と呼ばれ、野球センスの塊のような投手だった。
【キャリア】
山梨県甲府市出身。甲府商業高で全国大会出場。66 年ドラフト1位で巨人入団。投手として活躍。83年引退。巨人コーチ、解説者、巨人コーチを経て2004~5年巨人監督。解説者。
【タイトル、それに準ずる記録】
●最多勝1 ●最高勝率3 ●最優秀防御率1 ○最多完投2 ○最多投球回1
・防御率10傑入り6 ・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上13シーズン
最優秀選手1 沢村賞2 ベストナイン2 ゴールドグラブ7 オールスター出場8回 ノーヒットノーラン1回
【論評】
この投手のSTATSを見て気がつくのは、とにかく出入りが多いということだ。四球を出す。暴投もする。被本塁打も多いが、肝心のところではぴしゃっと押さえ勝ち星をもぎとる。
「勝ちゃいいんだろ!」とでも言うようなふでぶてしい姿が浮かび上がる。
誰かに似ているなと思った。そう、松坂大輔である。この投手も、マウンドに立つと一人相撲を取りたがるのだ。そして、日本の野球ファンはこうした自分勝手な投手のことを「エース」と呼んだ。堀内の登場は、翌年に連載がはじまる『巨人の星』にも影響を与えたと思う。
捕手の返球をわざと後ろを向いて背中でキャッチしたり、ピッチャーライナーをアクロバティックに取ったり、この投手のマウンドはとにかく魅力的だった。またピンチに強かっただけでなく打撃でも快打を飛ばし、しばしば試合を決定づけた。
しかし、この「魅力」の源泉である「若さ」が失われたときに、堀内はその成績以上に色あせて見えた。野次の好餌にもなっていたし、故海老沢泰久がしばしば書いているようにチーム内でも不当に軽い扱いを受けていたようだ。
しかし、堀内以降、巨人にはエースと呼ぶにふさわしい投手は現れていない。自分で試合を作り、球場を一人で魅了するような投手は出ていない。堀内よりも資質に恵まれていた投手はいたかもしれないが、エースのハートを持った投手はいまだ出現していないと言えるだろう。
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PITを戦力外通告された岩村だが、トレードがまとまらずに昨日からAAAでプレーすることになった。インターナショナルリーグのインディアナポリス・インディアンズ。トレド戦に岩村は1番で出場し、6回に9前打を放った。それ以上に特筆すべきは、3つの四球を選んだことだ。彼は全然腐っていない。1番打者としての役割を果たそうとしている。
この日のボックススコアには懐かしい名前が並んでいる。
岩村の後ろを打つのは、2008年日本でのMLB開幕戦で殊勲打を打ったブランドン・モス。4番には一時期SEAで城島とポジション争いをしたジェフ・クレメントがいる。彼は今日本塁打を打った。8番のバンエブリーは内野手だが、BOS時代にマウンドに上がったこともある。4番のピアースも含め、5人がMLB経験者。岩村だけではなく、みんな苦労しているのだ。まだまだ落ち込むのは早いという気がする。
元気な姿を見せれば、必ずいいことがある。そう確信した。
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V9巨人のエースと言えば「堀内と高橋一三」。“えもんかけ”といわれた極端な怒り肩とともに懐かしく思い出される。
【キャリア】
広島県府中市出身。広島北工業高から65 年巨人入団。投手として活躍。76年日本ハムに移籍。83年引退。巨人、日本ハム、巨人コーチを歴任。山梨学院大学野球部監督。
【タイトル、それに準ずる記録】
●最多勝1 ●最高勝率1 ●最多奪三振1 ○最多完投2 ○最多完封1
・防御率10傑入り5 ・WHIP1.00以下0 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上9シーズン
最優秀選手2 沢村賞2 ベストナイン2 オールスター出場6回
【論評】
幅の広い肩を振ってダイナミックな投球をした。球威があって、打者が打ち負けるシーンをしばしば見た。器用な堀内とは対照的に、武骨で融通が利かなかったが、全盛期には堀内を上回る信頼感があった。特にV9最後の年、73年は高橋一三の年と言っても良かった。コントロールはかなり大雑把だったが、3ボールからでも勝負できる投手だった。ただ、真っ向勝負を挑む傾向にあったため被本塁打も多かった。
阪神戦は34勝17敗。これは堀内の48勝29敗には劣るが、勝率では大きく上回っている。反対に中日戦は13勝20敗。得意と苦手がはっきりしていた。
「巨人の顔」の一人だった高橋一三が、富田勝とともに張本勲とのトレードで日本ハムに移籍したのは大きなニュースだった。当時日本ハムは巨人と同じ後楽園をホームグランドとしており“都落ち”と見る向きが多かった。一時期は長嶋茂雄の後継者とされた富田勝が悔しさを押し殺して話していたのを覚えている。巨人では富田の比較にならない大功労者だった高橋一三にとって、大きなショックだったのは想像に難くない。
移籍3年目には腰痛に悩まされたが、技巧派投手として立ち直り、日本ハムの先発投手陣の一角として37歳までマウンドに立ち続けた。
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遅すぎる。というのが率直な感想だ。しかし、彼が更新中の日本人選手のMLB本塁打記録は当分破られそうにもない。2位はイチローの87本である。
昨日の試合終了時点でのMLB本塁打ランキング。少々煩わしいが、全部掲載してしまう。
松井秀喜は昨日時点で歴代433番目。現役61番目。MLB各チームに2人はいる長距離打者の一人と言うレベルだ。
本塁打率でみるときに、NPBとMLBでの彼の打撃の違いが際立って見えてくる。
打数を本塁打で割った本塁打率ではほぼ半減しているのだ。
少し未練たらしいが、「たられば」の数値を1つ。松井は2006年に大怪我をして以後、出場試合数が減少しているが、この怪我がなかったとして、同じ本塁打率ならば以下の数字になる。
30本ほど本塁打を損した形だ。恐らくは怪我がなければNYYに残留していたことだろう。
この記念の本塁打を、デビューの本塁打と同様、満塁本塁打で飾るのがいかにも松井秀喜らしい。決して派手な性格ではないが、松井は何かを持っているのだ。
MLBの壁の高さを身を持って証明した選手として、松井の名前は記録され、記憶されるだろう。
今季、このペースでは22本塁打、98打点との予測が出ている。今日も3打数1安打1打点だったが、願わくば、今季もう少し打率を上げ、30本塁打、100打点を目指してほしい。
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“メリーちゃん”という不思議なニックネームで呼ばれていた。人のよさそうな大柄な投手だった。
【キャリア】
静岡県富士市出身。富士高から本州製紙、日本軽金属を経て63 年シーズン途中に巨人入団。投手として活躍。73年日拓に移籍。76年大洋移籍。78年ロッテ移籍。79年広島移籍。82年引退。広島スカウト。2007年死去。
【タイトル、それに準ずる記録】
・防御率10傑入り3 ・WHIP1.00以下3 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上8シーズン
オールスター出場2回 ノーヒットノーラン1回
【論評】
体が大きく球威がある投手だったが気が弱く、ルーキーから期待されながら成績を残せなかった。そのノミの心臓ぶりでついたあだ名が“メリーちゃん”。少し後の阪急、今井雄太郎に良く似た逸話だ。
サイドスローにした66年に13勝。以後、故障した68年を除き毎年のように二桁勝利を上げる。抜群の投球ではないが安打を打たれにくく、コントロールも良く、計算できる投手だった。ただサイドスロー、アンダースローの投手の特質として、内角をえぐる球を決め球にするために死球が多かった(一時最多記録保持者)。
73年からはジャーニーマンとなり、35歳をすぎてからはセットアッパーとして息の長い野球人生を送った。優しい笑顔が印象的だった。
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エルズベリー、ハーミダ、ローウェル、ローリー、今年のBOSは故障者だらけだ。中でも腰部の痛みで5月中旬から投げていないエース、ジョシュ・ベケットの離脱は大きな損失だ。
今季のSTATSを見て気づくのは、被安打、被本塁打が増えていること。もともと被安打は多かった投手だが、今季は投球回数を大きく超えている。球威、球速がなかったということだろう。腰の影響があったのかもしれない。このために投球数が増え、長い回が投げられなくなった。Qsは登板8試合で3に過ぎない。
あるいは捕手との相性の問題があったかと思ったが、ビクター・マルチネスとジェイソン・バリテックで大差はない。
元々、球威はあるが荒れ球だった投手だが、制球力がついたことで安定感が増した。ストライク先行の投球は小気味よかった。松坂と比べると、無駄球が少ないことがいかに重要かが良くわかった。
この投手はほとんどのシーズンでDIPSがERAよりも良かった。DIPSは奪三振、与四球、被本塁打と言う投手自身でコントロールできる数字の集積である。チーム力にかかわらず常に安定した投球ができるということだ。今季、DIPSも下降しているがERAほどではない。ポテンシャルはまだあるとみて良いだろう。
ベケットはここ6年で1125回を投げている。その疲労が腰に来たとも考えられるだろう。6月23日には55球のスローイングをした。ベケットが後半に復帰できれば、BOSのローテーションは楽になる。
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“アメリカではこんな野球をしているそうな”ということを端的に知らせてくれた投手。クローザーの遠祖と言うべき投手。
【キャリア】
群馬県前橋市出身。前橋高から日本大学。通算24勝を挙げて62 年巨人入団。投手として活躍。69年引退。巨人、日本ハムコーチ、解説者、西武、巨人、中日、巨人コーチを歴任。解説者。2006年死去。
【タイトル、それに準ずる記録】
○最多登板1
・防御率10傑入り1 ・WHIP1.00以下1 ・DIPS2.5以下0 規定回数以上1シーズン
オールスター出場1回
【論評】
肝機能に障害があった上、プロ入り後心臓疾患がわかり、長いイニングが投げられない制約のもと、救援投手としてマウンドに上がっていた。安定感のある投球をしていたが目立たぬ存在だった。
その宮田が一躍脚光を浴びたのは65年。「8時半の男」というニックネームで、69試合に登板、20勝4敗という成績を残した。セーブは19、セーブポイントは41と言う大活躍だった。69試合で164回。今では考えられない過酷な登板回数だが、MLBでも分業が始まったころの救援投手はこのくらいは投げていた。宮田はさして速い球はなかったが、伸びる直球をもっており、ランナーを背負っても平然としている強心臓もあって好成績を残した。
しかし、この酷使によって宮田の選手生命は一気に縮まり、後は目立たぬ投手に戻って30歳で引退した。
宮田は日本の救援投手の嚆矢とも言うべき存在だが、彼の後を歩む投手はしばらく現れなかった。その当時は、どちらかといえば「変わり種」という評価だったように思う。
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