福本 豊|クラシックSTATS鑑賞 阪急-42

その気さくな性格ゆえに、大きな存在とは見られないが、王貞治、張本勲、イチローと並ぶ歴史的な選手である。スピード野球の扉を開けた。

【キャリア】
大阪市生野区出身。大鉄高では甲子園出場、松下電器を経て69年ドラフト7位で阪急入団。外野手として活躍。88年引退。オリックス、阪神コーチを歴任。2002年殿堂入り。
【タイトル、それに準ずる記録】
●盗塁王13 ●最多安打4 ○最多得点10 ○最多二塁打3 ○最多三塁打8 ○最多四球6
・打撃10傑入り8・OPS.900以上1 ・RC100以上4 規定打席以上17シーズン
MVP1、ベストナイン10、ゴールドグラブ11、オールスター出場16回 サイクル安打、30試合連続安打、初回先頭打者本塁打43
【論評】
インタビューを生業の一部としているのでアスリートに話を聞く機会がしばしばある。名選手の多くは有名人のオーラを発していたものだが、福本豊は全くそういう気配がなかった。近所のおじさんと話をしている感じがした。ただ、その話は尋常ではなかった。
オフシーズンには北陸へよくカニを食べに行ったそうだが、メスガ二(セコガニ)が大好きで、宿に頼んでざるに山盛りカニを持ってもらい、ビールを片手に一晩中食べ続けたという。三泊四日で行けば毎日そうしたという。食への極端なこだわりは、イチローに通じるものを感じさせた。
盗塁の記録がどうしてもクローズアップされるが、打者としての福本も稀に見る存在だ。
打率は常に3割近くを打つ上に、四球は50を超えている。IsoDは当時としては高い.070以上。つまり中々凡退しない打者だった。その上どんな形であれ出塁すれば全盛期は50%以上の確率で2塁まで進んだのだ。1人で2人以上の働きをする打者といってよいだろう。
その密度は、イチローのNPBでのレギュラーシーズン7年との比較で出てくる。

●は塁打と四球、盗塁の合計から盗塁死を引いた数値での比較。つまり単純に「いくつ塁をとったか」という数字だ。圧倒的に安打を量産し、長打でも福本を上回るイチローだが、盗塁の数値を合計すると福本とほぼ拮抗する。生産性はほぼ同等なのだ。他チームにとっては、イチローと同様最大の脅威だっただろう。
外野手としても福本は守備範囲の広さと、捕球してからの早さ、的確さで一流の存在だった。
そして福本の本当の偉大さは、多くの大選手と同様、息の長さにある。実に18年の長きにわたって100安打を打ち続けた。平均すれば138安打。130試合制では1チームのシーズン安打数は1200安打前後だが、福本は1人でその1割以上を打ち続けたのだ。首位打者の可能性も十分にあったと思う。
福本豊は、自らの打撃や走塁のノウハウを論理的に言わないことで知られる。走塁は「気合いや!」打撃も「バッ」「ゴーン」「カーン」。福本語録と言われる名(迷)言は、彼の野球の精妙さの反証だと思う。真似してできるものではないし、学べるものでもない。「説明の拒絶」は、福本のレベルの高さを意味しているのではないか。この部分もイチローに通じると思う。
盗塁世界記録を達成した時の国民栄誉賞の辞退、監督に就かなかったことなど、福本豊の生き方には背骨の存在を感じる。
2002年鈴木啓示とともにドラフト施行後最初の殿堂入り。野球中継などを通じて、我々は日々、気さくな偉人と接しているのである。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

矢野燿大はどんな捕手だったか?|エピソード2010-153

40歳を過ぎてへとへとという感じの昨今だけを見ると、矢野は細い体に鞭打って頑張るただの“ベテラン捕手”に過ぎないが、実は阪神史上最強の捕手だった。少し長い表だが、2リーグ分立後の阪神の歴代捕手の一覧を見ていただきたい。
 
阪神だけではないが、かつて、捕手というポジションはオフェンス面ではほとんど期待されていなかった。2リーグ分立直後の正捕手徳網茂はルーキーだったがアベレージヒッターであり、当時としては珍しい打てる打者だった。しかし以後は規定打席に達する打者は皆無。100安打など遠い夢。2番手捕手に至っては打率2割さえ望むべくもなかった。
1969年に法政大学から入った田淵幸一が、いかに破天荒な捕手だったかはこれを見れば一目瞭然だ。前任者の辻佳紀(ひげ辻)や、控えの和田徹も強打で知られた捕手だったが、田淵はケタ違いだった。打線のお荷物どころか不動の4番。しかも強肩で知られた。エースの江夏との相性も抜群。まさに攻守のかなめだった。しかし、以後の田淵は良く知られているように捕手失格の烙印を押されていく。ファウルを追わない、ブロックができない。実際にはマスコミの阪神不振の“犯人探し”の犠牲者という部分も多かったと思うが、田淵は傷心の果てに西武に移籍する。以後、田淵のような存在は現れず、また捕手として絶対的な信頼感を与える選手もあらわれず、阪神は「帯に短し襷に長し」でやってきたのである(阪神だけでなく、多くの球団にとって“不動の捕手”を得るのは幸甚そのものといってよいと思うが)。
98年矢野の阪神移籍がどれほど大きなことだったかは、この表で明らかだ。矢野は田淵ほどの攻撃力はなかったが、はるかに大きな安定感、信頼性があった。しかも年間100安打以上を8度。立派なレギュラー打者でもあった。移籍の時点ですでに30歳だったが、阪神は矢野に投手陣を委ねた。吉田義男、野村克也、そして星野、岡田という個性の異なる指揮官に信頼され続けたことも評価できる。
実に11年の長きにわたって、矢野は阪神の正捕手であり続けた。これは田淵の9年を抜いて最長である。
名球会や野球殿堂などとは無縁だが、偉大な選手だったといえるだろう。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

矢野燿大、20年の選手生活を終える|エピソード2010-152

今にして思えば、80年代後半の東北福祉大はそうそうたる顔ぶれだった。エースに佐々木主浩、主軸打者に大塚孝二、1年後輩に金本知憲、矢野燿大、2年後輩にATLの斎藤隆、浜名千広。彼らは決してエリートではなかったが、後にNPB、MLBで新たな歴史を作っていくのだ。東北福祉大の特色は打力優先にある。守備力よりは打撃を重視し、積極的に打つ野球だ。すでに故人となったが監督伊藤義博の考えに基づくのだろう。
矢野燿大は体が細く、それほど打力が期待された存在ではなかったが、東北福祉大でのキャリアを経て「打てる捕手」へと変貌していた。これが彼の長いキャリアにつながったと思う。

ドラフト2位で入った中日では、中村武志の控えに甘んじた。中村は星野仙一の“作品”ともいうべき存在だった。星野が監督でいる限り中村の正捕手の座は安泰。矢野は二番手捕手のままだった。
98年、大豊とともに関川、久慈とのトレードで阪神へ。当時はレギュラー未満の選手同士のごく普通の交換だと思われたが、阪神にとっては矢野の獲得は空前の成功だった。
以後、2008年まで阪神は捕手の心配をしなくても良くなったのだ。打力においてお荷物になることが多い捕手だが、矢野は中軸を打つ実力があった。そしてリード面でも当時の阪神の正捕手山田勝彦に勝っていた。毎年のように優勝争いに絡む、近年の阪神の要の位置に矢野は座ったのだ。阪神史上最強の捕手だったと言っても良い。
40歳を超え衰えが見えはじめた矢野の後継に城島が座ったことで、矢野の勇退は既定の事実化していた。しかし、精神的支柱を失うショックは小さくないだろう。特に金本知憲には大きな影響を与えるのではないか。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

松坂大輔、アチソンから9勝目をプレゼントされる|エピソード2010-151

無難な立ち上がりをして順調に押さえていたから、登板回避の影響はないかと思っていた。しかし、投球を調べてみるとそうではなかった。昨日は本調子ではなかったのだ。

完全にペナントレースから脱落しているBALは「自由に打ってよろしい」チームになっている。その気楽さで速いカウントからボール球に手を出してくれたので、1、2回は6人で仕留めることができたのだ。しかし、球速はあったがストライクは入っていなかった。2回までビクター・マルチネスのミットに収まった15球の内11球がボールだったのだ。
例によって3、4、5回と少し持ち直す。しかし、体力的にはやや苦しかったようで、6回に入ると狙い打ちされた。
BAL打線にしてみれば「打てない球ではない」という意識が常にあっただろう。伸びのない速球にだんだん合ってきた。松坂は速球主体からカーブ、チェンジアップ中心に切り替えて乗り切ろうとしたが無理だった。
「松坂は突如崩れる」という意識が強かった首脳陣だが、このところ試合を作ってきたので信頼感が増していた。そのために投手交代時期が遅れた。すんでのところで勝ち星を失いかけたが、アチソンが実に立派な投球をし、ロングリリーフでパベルボンまでつないだ。パベルボンは一人相撲をとりかかったが何とか勝利。松坂はアチソンにお礼を言うべきである。
このところQSから遠ざかっている松坂、次回登板ではいいところを見せたいところだ。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

大橋 穣|クラシックSTATS鑑賞 阪急-41

打撃は弱いが守備がすごいと言われ続けた“守備のスター”。
 
【キャリア】
東京都新宿区出身。日大三高から亜細亜大学、大学通算20本塁打。69年ドラフト1位で東映入団。内野手として活躍。72年阪急移籍。82年引退。阪急、オリックス、ヤクルト、中日、SKでコーチ。統一監督を歴任。
【タイトル、それに準ずる記録】
・打撃10傑入り0・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上1シーズン
ベストナイン3、ゴールドグラブ7、オールスター出場3回
【論評】
大学屈指のスラッガーとして東映に入団。守備力もあり中軸を担うと期待されたが、打撃は全く振るわなかった。当時としては三振が際立って多く、確実性がなかった。しかし守備面では大下剛史を2Bに追いやりSSのレギュラーを獲得。今なら普通に見られるグラブトスによる併殺や、バックハンドトスなど派手なフィールディングでグランドを沸かせた。その評価は72年、阪本敏三とのトレードで阪急に移籍してから定着。“守備だけで銭が取れる野手”としてベストナインにも3度選ばれた。福本豊とはプロ初出場試合も1000試合出場も同じ日、一時期は同期の両雄と見なされたこともあった。
ただ、打率.210台。規定打席にも達していない打者が3度もベストナインに選ばれたのは今見れば、違和感がある。当時パリーグに打てるSSがほとんどいなかったためだが、打撃成績でいえば交換で東映―日拓―日本ハムに移籍した阪本敏三の方が上だった。
70年代後半、打撃優位の野球への変質とともに大橋の出番は減っていく。率直にいえば、やや過大評価された選手のように思える。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

8月の日本人MLB投手|2010MLBペナントレース-33

こと志とは違ったが、MLBに何とかポジションを得た、という投手が目立った8月である。
上原浩治

NHKが投げるたびに「ルパン三世」のテーマ曲を流す。自信を持っていうが似合わない。首脳陣は明言しないが、BALのクローザーは上原になった。8月の成績は素晴らしい。ただし、来季この座が保障されているわけではない。トータルでは年俸(500万ドル)に見合う成績とは言えないからだ。
岡島秀樹。

岡島は8月、キャリアで初めてマイナーでの登板を経験した(3試合2.1回ER5)。松坂は何度も投げているが、岡島はファーム落ちしたことがなかったのだ。それだけ安定した成績を残し、故障もしなかったのだ。今年は勤続疲労という感じがする。しかし首脳陣は8月30日に昇格させた。ポストシーズンを考えれば不可欠の投手なのだろう。来季へ向けて、残留に向けて、これからが重要だ。
松坂大輔

今日(現地2日)の登板では9勝目を挙げたものの、久しぶりに「脆い松坂」を露呈したが、8月はQSは1試合だが安定していた。腰痛で1度登板回避したために規定投球回数到達はほぼなくなったが、あと4回程度の先発でどれだけ星を積み上げられるかだ。
黒田博樹

エース級の活躍のわりに白星が上がらなかったが、ようやく二桁。他チームからオファーがきそうな気配もあり、安定感のある先発投手との定評ができつつある。ここへきて球速が上がっているのが素晴らしい。被安打が減っているのはこのためと思われる。
五十嵐亮太

8月後半に昇進し、高橋尚が投げていたセットアッパーのポジションに収まってまずまずの仕事ぶり。今年は怪我に泣かされた。今からの仕事で契約最終年の来季の役どころが決まってくるだろう。
高橋尚成

奇しくも同い年の元同僚、上原ともどもクローザーに収まった。短いイニングでの集中力は抜群だ。奪三振は100に到達。ロングリリーフもセットアッパーもクローザーも先発もできる。指揮官にとってこれほどありがたい存在はないだろう。ここでのアピールが、来季の可能性を拡げることになる。
川上憲伸

好投しているのに運が悪かったという評価だったが、結局、その不運は自分の力で払しょくしなければならないものだった。中継ぎで1度登板して失敗したのちにファームに落ちた。8月30日にMLBに上がったが、翌日降格。この時点で川上は、ポストシーズンは戦力外と看做されたということだ。4日に先発登板がある。これは来季へ向けたテストという意味合いもあろう。
斎藤 隆

8月は10度マウンドに上がって自責点0. 40歳を過ぎてがつがつ勝負する必要も無くなったが、まだ通用している。まっすぐの勢いは大したものだ。ポストシーズンも重要な戦力になるだろう。今年も生き延びた。そういう印象。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

ヤクルト、ホワイトセルは期間限定お買い得|エピソード2010-150

今年のヤクルトは、投手陣が低迷し青木(5月.218)をはじめ打線も湿りがちだった。ヤクルトはデントナ、ガイエルという外国人がいた。どちらもやや粗いが大きいのが期待できた。特にガイエルは外野手としては守備範囲も広く強肩でリーグ屈指の存在だったが、今年はとにかく打てなかった。
「参りました」という感じで5月末に高田監督が退任し、小川監督代行になったとたんに息を吹き返した。こういうことは往々にしてあるものだ。企業でもそうだが、上司、管理職が変わると空気がガラッと変わることがある。ただ、それに加えて高田監督と入れ替わりで加入した新外国人ジョシュ・ホワイトセルの存在が大きい。

ホワイトセルは、名門ロヨラメリーマウント大では、シュアな打撃で知られた。2003年MTLの7順目(全体177番目)でプロ入り。この年は大当たりで、同期いの一番はデルモン・ヤング、1順目にはニック・マーケイキス、デービッド・アーズマ同じ7順目にはマット・ケンプ、ライアン・ブラウン、ケビン・クーズマノフがいる。ちなみにホワイトセルは、ケビン・ユーキリス、ライアン・ブラウンらと同じユダヤ系である。
ホワイトセルはプロ入り後も順調に数字を残していたが、2006年に故障のため1年を棒に振る。これで出世コースを外れたようだ。本塁打もAVGも残しているが、プロスペクトの評価はなくWSH、ARIと移籍した。一昨年MLBに昇格し、昨年はARIで46試合に出場したが、今季は再びWSHに移り、AAAから再スタート。ここでも3割をマークするが上から声がかからず、NPBの誘いに乗ったという経緯だ。
この選手はジェイソン・ジアンビに似ている。非常にボールを良く見る打者でIsoDは1.00を常に超えている。しかし三振を恐れず振ってくる。同時にミートも上手いから打率も上がる。左打者だがむしろ左投手を得意にしている。
こんな優秀な打者がなぜメジャーに定着できないかというと、足が遅いこと、そして守備がまずいことがあげられよう。1Bでありながら守備率が.980台。毎年10個以上エラーをしている。5ツールプレイヤー、スピード感があるプレイヤーの評価が高いMLBにあって、この手の選手の評価はどうしても低くなる。
日本で直ぐに適応できたのは、この選手の実力、資質から見て当然と言えよう。
ただし28歳のホワイトセルは、NPBで骨をうずめる気はないと思われる。今ではNPBの数字はMLBでもしっかりチェックされている。来季はMLB特にDHのあるALのオファーを期待しているのではないか。
ホワイトセルが来季ヤクルトに残留する可能性はそれほど高くないだろう。期間限定の活躍だと思う。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

阪本敏三|クラシックSTATS鑑賞 阪急-40

近鉄の選手という印象が強い。しかしその野球は西本阪急で完成されたものだ。
【キャリア】
京都市伏見区出身。平安高校から立命館大学、卒業時にドラフト5位で東映に指名されるが拒否して河合楽器へ。66年ドラフト5位で阪急入団。内野手として活躍。72年東映、76年近鉄、79年南海移籍。80年引退。近鉄コーチ。
【タイトル、それに準ずる記録】
●盗塁王3 ○最多三塁打1
・打撃10傑入り2・OPS.900以上0 ・RC100以上0 規定打席以上8シーズン
MVP2、ベストナイン4、オールスター出場5回
【論評】
66年のドラフトの最後から2番目の指名で阪急入団。評価は決して高くなかったが、たちまち頭角を現し、リーグ屈指の遊撃手となる。ライバルと目される安井、大橋などと比べても攻撃面では大きく上回っていた。当時としては長打力もあった。
72年、阪急は守備面の強化を目指して東映の大橋穣と阪本を交換した。これによって阪急の第二次黄金時代のメンバーは完成したと言われるが、攻撃面では安全パイを打線に加えたことになった。
しかし、後付けで考えれば屈指の1番打者であった阪本が出されたために福本豊の活躍の余地はさらに広がったとも言えるだろう。
73年阪本は三塁手にコンバートされた。打力を活かすために守備の負担を軽減したのだが、皮肉なことにここから成績は下降線を描いた。晩年は守備固めと代打専門になってしまった。往時の颯爽とした姿からすれば残念なことだ。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

8月の日本人MLB打者|2010MLBペナントレース-32

7月に比べれば総じて活躍が目立った月だったが、状況は厳しい。一言でいえば「時すでに遅し」という感がある。
イチロー

7月より持ち直したのは間違いないが、本調子とは言えないのではないか。マルチヒットは出ているが、迫力がない。昨年は足の故障で8月後半8試合を欠場しているが、直前に4安打するなど今年よりも元気だった。30試合で31安打は実現可能だが、プレッシャーがかかってくるだろう。
松井秀喜

大噴火するか、と期待したが小規模にとどまった。ただ、昨日は2打席凡退だったが松井シフトに阻まれただけでいい当たりは出ていた。ようやくチーム打点王に躍り出た。ただ、40人枠になった今後は、若手に出場機会を譲ることもあろう。限られたチャンスを活かして来季契約に辿り着かなければならない。本人は最近「人工芝のNPBでは1週間で故障者リスト入り」と日本復帰を明確に否定している。
福留孝介

好調は維持しているが、試合出場機会ははっきりと減ってきた。ここ2試合は出番なしである。来季契約が残っているとはいえ、かなり追いつめられた感がある。出た試合でどれだけ数字を残すか、それだけである。
岩村明憲

AAA降格当初は元気だった岩村だが、モチベーションが低下しているのではないか。8月末までにお呼びがかからなかったということは、他チーム移籍の目もかなり小さくなったということだ。日本復帰の噂もあるが、不完全燃焼の印象はまぬかれない。
松井稼頭央

逆境の中でよく頑張っている。数字が上がっている。AAAとはいえ月間20得点は特筆ものだ。彼も8月31日までにお呼びがかからなかった。アメリカに残るなら、恐らくはマイナー契約からやり直すことになる。日本球界復帰の話も出てくるのではないか。
 
野手は依然として厳しい状況にある。そして高齢化も進んでいる。フレッシュなNPB選手の挑戦を見たいところだ。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!

チャプマン166km/hを2球!|エピソード2010-149

8回、左腕を軽く振りながらチャプマンはマウンドに上がった。肩幅が広いな、という印象だ。WBCのときよりも表情が穏やか、そしてフォームは明らかに小さくなっていた。
初球は157km/hの速球。捕手のハニガンがボールをベンチに転がした。記念すべきMLB第1球というわけだ。これでも十分に速い、すごいと思えたが、すぐに、もっとすごいものを見ることになる。
3球目に103マイル166km/hが出た。指先を離れたボールが早送りのようにミットをめがけて繰り出された。打者のラクロイも新人。コッタラスと併用されている捕手だが、打者としては非力。辛うじてバットに当てた。で、次の140km/h体に向かってくるスライダーで三振した。捕手はミットの一番端っこでボールをつかまえた。すごく曲がっていた。
いつも思うのだが、速球が早い投手は変化球も速い。変化球であっても、球速の落差ではなくスピードで勝負している。ついていくのが精いっぱいという感じになる。
あとの二人には速球だけ。ほぼ捕手の構えた所にボールがきていた。下位打線であり、代打のゴメスも含めて非力だから、打たれる気配はなかった。あっという間に三者凡退。スタンディングオベーションの中、ベンチへ引っ込んだ。
この春、ストラスバーグとチャプマンという100マイルルーキーがもてはやされたのが、遠い昔のような気がする。もうストラスバーグは再来年までみることができないのだ。
AAAでは105マイル169km/hを記録したという。その球速以上に、今日マウンドで見せた落ち着きとコントロールが本物ならば、チャプマンは使えるだろう。何と言っても左投手なのがすごい。並みの左打者は打てないのではないか。
ペナントレースにもう少しで手が届くCINが、8月31日にロースターに加えた意味もわかるというものだ。
MLBのペナントレースの楽しみがまた一つ増えた。


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!